
身体の傷は治った。骨もついた。それでも、事故の場面が突然よみがえり、眠れない。車に乗ることができない。事故現場に近づけない。人と会うのが怖い。何もする気が起きない——。
交通事故は、身体だけでなく心にも深い傷を残します。特に、目の前で家族を失った、生死の境をさまよった、長期の入院と手術を繰り返したといった重傷事案では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ状態が生じることが少なくありません。
ところが、賠償の場面では「精神的な症状は時間が経てば治る」「もともとの性格の問題だ」という扱いを受けやすく、適正な等級が認定されないまま終わってしまう事案が目立ちます。
本記事では、交通事故による非器質性精神障害の後遺障害について、認定の仕組みと立証のポイントを、埼玉県大宮の弁護士が解説します。
器質性と非器質性の違い

高次脳機能障害との区別
交通事故後の精神症状には、大きく二つの類型があります。
ひとつは、脳そのものが損傷したことによる「器質性」の障害です。高次脳機能障害がこれに当たり、画像所見や意識障害の経過によって裏づけられます。
もうひとつは、脳の器質的損傷がないにもかかわらず、心理的な負荷によって生じる「非器質性」の精神障害です。PTSD、うつ病、適応障害、不安障害などがこれに該当します。
両者は認定の枠組みが異なり、立証すべき事柄も違います。事故で頭部を打っている事案では、まず器質性の障害がないかを画像と意識障害の経過で確認し、そのうえで非器質性の障害を検討するという順序になります。
認定される等級
非器質性精神障害は、「神経系統の機能又は精神の障害」として評価されます。自賠責保険では、第九級一〇号「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」、第一二級一三号「局部に頑固な神経症状を残すもの」、第一四級九号「局部に神経症状を残すもの」のいずれかに振り分けられるのが実務です。
労働能力喪失率は、第九級が三五パーセント、第一二級が一四パーセント、第一四級が五パーセント。赤い本の基準による後遺障害慰謝料の目安は、第九級六九〇万円、第一二級二九〇万円、第一四級一一〇万円です。
認定で何が見られるのか

精神症状の存在
認定の前提として、一定の精神症状が存在することが必要です。実務では、①抑うつ状態、②不安の状態、③意欲低下の状態、④慢性化した幻覚・妄想性の状態、⑤記憶又は知的能力の障害、⑥その他の障害(衝動性の障害、不定愁訴など)という六つの症状の有無が確認されます。
抑うつ状態とは、持続するうつ気分があり、何をするのもおっくうになり、それまで楽しかったことに対して楽しいという感情がなくなり、気が進まないといった状態をいいます。
意欲低下の状態とは、すべてのことに対して関心が湧かず、自発性が乏しくなり、自ら積極的に行動せず、行動を起こしても長続きせず、口数も少なくなり、日常生活上の身の回りのことにも無精となる状態をいいます。
能力に関する判断項目
症状の存在が認められたうえで、日常生活や就労におけるどの能力が、どの程度失われているかが評価されます。
実務では、①身辺日常生活、②仕事・生活に積極性・関心を持つこと、③通勤・勤務時間の遵守、④普通に作業を持続すること、⑤他人との意思伝達、⑥対人関係・協調性、⑦身辺の安全保持・危機の回避、⑧困難・失敗への対応、という八つの判断項目が用いられます。
これらの項目について「できる」「困難はあるが概ねできる」「相当程度の援助が必要」「できない」といった評価がなされ、総合して等級が決まります。
「治りやすい障害」という前提
ここが最大の難関です。行政の認定基準の考え方として、心理的負荷を原因とする非器質性精神障害は、負荷を取り除き適切な治療を行えば、多くの場合おおむね半年から一年、長くても二年から三年の治療により完治するのが一般的であり、業務に支障が出るような後遺症状を残すケースは少ないとされています。
つまり、出発点が「治るもの」という前提に置かれています。したがって、適切な治療を継続したにもかかわらず症状が固定して残存していることを、こちらから積極的に立証しなければなりません。
立証をどう組み立てるか

早期に精神科・心療内科を受診する
最も多い失敗は、受診そのものが遅れることです。整形外科への通院だけを続け、「眠れない」「車に乗れない」といった症状を誰にも言わないまま一年が経過すると、症状の発生時期と事故との関係を立証できなくなります。
事故との時間的な近接性は、因果関係の判断において決定的に重要です。症状を自覚したら、できるだけ早く精神科または心療内科を受診し、診断名と初診時の所見を記録に残してください。
診断名の確定と診断基準
PTSDについては、ICD-10やDSM-5の診断基準に照らして診断されます。PTSDの診断には、生命の危険を感じるような出来事への暴露、侵入的な想起(フラッシュバック)、回避、過覚醒といった症状が必要です。
軽微な接触事故でPTSDと診断されても、認定の場面では「PTSDの診断基準を満たす外傷体験ではない」と判断されることがあります。反対に、重傷事案や、目の前で家族を失ったような事案では、外傷体験の要件は満たされやすくなります。
なお、PTSDの診断基準を満たさない場合でも、うつ状態や不安障害として後遺障害が認定される余地はあります。診断名にこだわりすぎる必要はありません。
継続的な通院と治療の記録
通院が途切れていると、「症状が軽快した」あるいは「治療の必要がなかった」と評価されます。投薬の内容と量、カウンセリングの実施、休職や復職の経過、主治医の指示を、すべて記録として残してください。
また、心理検査(HAM-D、SDS、BDI、MMPIなど)の結果は、症状の程度を示す客観的な資料になります。主治医に実施を依頼しておくとよいでしょう。
生活と就労の変化を具体的に書く
精神障害の立証で最も説得力があるのは、生活の変化を具体的に示すことです。
事故前は毎日運転して営業に回っていたのに、今は車に乗れず電車通勤に切り替えた。夜中に何度も目が覚め、朝起きられず遅刻が増えた。人と会うのが怖くて家族以外とは話さなくなった。入浴や着替えを自分でしなくなった。
こうした変化を、日付とともに記録してください。ご家族が書いた記録、勤務先の勤怠記録、配置転換の辞令、休職の記録も有力な資料になります。
素因減額への反論
保険会社は、「もともとの性格傾向が症状を長引かせている」「事故前から精神科に通院していた」として素因減額を主張してきます。
最高裁は、疾患にあたらない身体的特徴は原則として減額の理由にならないとしており、性格傾向を理由とした減額は限定的にしか認められません。もっとも、事故前に精神疾患の既往があった場合には、一定割合の減額が認められる事案もあります。
これに対しては、事故前は通常に就労し家庭生活を送っていたこと、事故を契機として症状が出現または著しく悪化したことを、健康診断の結果、勤務実績、既往症がある場合は従前の症状との比較によって立証します。
休業損害でも争われる
精神障害の事案では、後遺障害の前段階である休業損害からすでに争いになります。「身体の傷は治っているのだから就労できるはずだ」として、休業の必要性を否定されるのです。
これに対しては、主治医に休業の必要性と見込み期間を診断書に明記してもらい、勤務先からは休業損害証明書と勤怠記録を取得します。休職中であれば、休職発令の書面と就業規則の休職規定も資料になります。
家事従事者(主婦・主夫)の場合は、賃金センサスの女性全年齢平均賃金を基礎として休業損害を請求できます。家事のどの部分ができなくなったかを具体的に記録しておいてください。
治療費の打切りへの対応
精神科の治療は長期にわたりますので、保険会社は比較的早い段階で治療費の打切りを打診してきます。打ち切られても、健康保険(業務中・通勤中の事故であれば労災保険)に切り替えて治療を継続できます。
健康保険を使う場合は、保険者に「第三者行為による傷病届」を提出します。また、精神科の通院については自立支援医療(精神通院医療)を利用して自己負担を軽減できる場合があります。
治療を中断してしまうと、症状の一貫性が失われ、後遺障害の認定が著しく困難になります。費用の問題で通院をやめてしまう前に、ご相談ください。
裁判例にみる認定

家族の死を目撃した事案
裁判例には、左手関節機能障害(第一二級六号)、左尺骨変形障害(第一二級八号)、非器質性精神障害(第一二級一三号、併合第一一級)の主婦(女・症状固定時三八歳)について、入通院期間が約一八か月半(入院六日、実通院日数六二日)で、骨折等の傷害に加え、眼前で二歳の一人息子の死亡事故を目撃し、非器質性精神障害も負ったうえで同時期に治療を受けていたこと等の事情を併せ考慮し、傷害分二五〇万円、後遺障害分四二〇万円を認めたものがあります。
身体の傷害と精神の障害が併存する事案では、入通院慰謝料の段階でも増額が考慮されます。
自賠責より高い等級が認められた例
赤い本には、PTSDその他の非器質性精神障害について、自賠責保険より高い等級や労働能力喪失率が認定された裁判例が集積されています。裁判所は自賠責の認定に拘束されませんので、非該当や第一四級とされた事案でも、訴訟で覆る可能性があります。
逸失利益の喪失期間
保険会社は、非器質性精神障害について「いずれ回復するのだから喪失期間は五年程度に限るべきだ」と主張してくることがあります。
これに対しては、症状固定に至るまでの治療経過の長さ、投薬の継続、就労状況の実態を示し、原則どおり六七歳までの期間を主張します。段階的に喪失率を下げる形での認定がなされることもありますので、交渉の幅を意識した組み立てが必要です。
ご家族の精神的負担も損害になりうる
重度の後遺障害が残った事案では、介護を担うご家族自身が抑うつ状態に陥ることがあります。第一級・第二級といった重度後遺障害の事案では、民法七一一条の類推適用によりご家族固有の慰謝料が認められますので、その算定において介護の精神的負担が考慮されます。
裁判例には、高次脳機能障害等と一眼摘出(併合第一級)の独身会社員について、両親の介護の精神的負担も極めて重いことを考慮して、ご本人分三二〇〇万円、父母各四〇〇万円の合計四〇〇〇万円を認めたものがあります。
当事務所のサポート内容

①精神科・心療内科の受診のご案内
症状の発生時期と事故との近接性を記録に残すため、早期の受診をご案内し、初診時に伝えるべき内容を整理します。
②必要な検査と診断書の手配
心理検査の実施を主治医に依頼し、非器質性精神障害の後遺障害の状態に関する意見書など、認定に必要な書式の作成を依頼します。
③生活記録の作成支援
ご本人・ご家族と一緒に、日常生活と就労の変化を日付入りで記録する方法をご説明し、提出資料として整えます。
④被害者請求・異議申立てと素因減額への反論
弁護士名義の意見書を添えて被害者請求を行い、不服があるときは異議申立てを行います。素因減額の主張に対しては、事故前の就労実績と健康状態を示して反論します。
おわりに

心の傷は、画像にも数値にも現れません。そして、「いずれ治るもの」という前提から出発する認定の仕組みのなかで、適正な評価を得るのは容易ではありません。
それでも、受診の時期、診断名、治療の継続、そして生活がどう変わったかの記録。この四つを押さえていれば、結論は変わります。逆に、受診が遅れ記録が残っていなければ、どれほど苦しんでいても非該当とされてしまいます。
身体の治療と並行して、心の症状についても早めにご相談ください。なお、気分の落ち込みが続いている場合は、賠償の手続とは別に、まず治療を受けられることをお勧めします。
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この記事を書いた弁護士:弁護士 遠藤吏恭
交通事故
弁護士登録後、交通事故による後遺障害・慰謝料増額・保険会社との示談交渉など多数の事案を担当。不当要求防止責任者講習の講師として培った毅然とした交渉力を武器に、保険会社との粘り強い折衝を得意とする。交通事故問題について、テレビ朝日「グッド!モーニング」出演歴があり、また中央大学法科大学院・埼玉工業大学講師も務める。




