
歯科医院の多くは、院長が経営者を兼ねる小規模な事業所です。そのため勤務歯科医は、院長との個人的な関係が悪化しただけで、就業規則も手続もないまま「来月から来なくていい」と告げられることがあります。
勤務歯科医の年収は、経験や勤務先によっては一千万円を超えることも珍しくありません。開業を目前に控えた時期に職を失えば、資金計画や開業準備にも深刻な影響が及びます。
また、歯科の世界では「業務委託」という形で契約書が交わされていることがあり、「あなたは労働者ではないから解雇の問題ではない」と説明されるケースも見受けられます。
本記事では、勤務歯科医の解雇が無効となる法的枠組み、業務委託契約とされている場合の考え方、そして解雇を告げられたときの具体的な対応について、埼玉県大宮の弁護士が解説します。
小規模な歯科医院でも解雇の規制は同じように及ぶ

従業員が少なくても労働契約法は適用される
勤務歯科医が院長との間で労働契約を結び、診療時間や担当患者の割り振りについて指示を受けて働いているのであれば、労働基準法上の労働者です。歯科医院の規模が小さいこと、就業規則が作られていないことは、解雇を自由に行える理由にはなりません。
労働契約法第16条により、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇は、権利の濫用として無効になります。
「業務委託」でも実態が雇用なら労働者と扱われる
契約書の表題が「業務委託契約書」となっていても、それだけで労働者性が否定されるわけではありません。勤務日や診療時間が指定されているか、担当患者を自分で選べるか、報酬が時間や日数に応じて決まっているか、器材や材料を医院が提供しているか、他院で自由に働けるかといった実態から判断されます。
実態が雇用であれば、解雇権濫用法理も、解雇予告のルールも、残業代の規制も適用されます。「業務委託だから明日で終わり」という説明を、そのまま受け入れる必要はありません。
解雇予告手当を受け取っても解雇を争える
労働基準法第20条は、解雇にあたって30日前の予告か、平均賃金30日分以上の解雇予告手当の支払いを求めています(天災事変等により事業の継続が不可能となった場合や、労働者の責に帰すべき事由による解雇で労働基準監督署長の除外認定を受けた場合などは例外です)。もっとも、この手当が支払われたからといって解雇が有効になるわけではありません。予告手当を受領した後でも、解雇の効力そのものを争うことはできます。
勤務歯科医の解雇でよくある理由と、その問題点

①院長との人間関係・治療方針の対立
自費診療の勧め方や治療計画をめぐる方針の違い、スタッフとの関係を理由に、「合わない」という一言で解雇されるケースです。抽象的な相性の問題は、解雇を正当化する理由になりません。
②売上・自費率が低いことを理由とする解雇
「担当患者の自費率が目標に届かない」といった成績を理由とする解雇です。歯科医師には診療上の裁量があり、患者の希望や口腔内の状況にも左右されます。目標未達だけで解雇するには、指導や配置の見直しなど、改善の機会を与えたことが前提となります。
③患者からのクレームや治療トラブルを理由とする解雇
補綴物の不具合や説明不足を理由とするクレームは、歯科医療では避けがたい面があります。院内の記録や技工所とのやり取りを確認せず、担当医個人の責任として解雇するのは相当性を欠きます。
④経営悪化・患者数の減少を理由とする解雇
経営難を理由とする解雇は整理解雇として、人員削減の必要性、解雇回避努力、人選の合理性、手続の相当性の四つの要素から厳格に判断されます。院長の親族が勤務を続けている一方で勤務歯科医だけを切るような人選は、合理性が問われます。
高収入の勤務歯科医だからこそ、失う金額が大きい

無効なら解雇後の報酬をさかのぼって請求できる
解雇が無効であれば、労働者としての地位は失われておらず、解雇の日以降の賃金を請求できます(民法第536条第2項)。月額100万円の待遇であれば、1年間で一千二百万円が対象となります。
もっとも、その間に他院での勤務などによって収入を得ていた場合には、平均賃金の6割にあたる額は最低限保障されるものの、それを超える部分は控除されるのが実務の取扱いです(同項後段、労働基準法第26条)。
開業準備や競業避止条項にも注意が必要
退職にあたり、「半径◯キロメートル以内で◯年間は開業しない」といった競業避止条項への署名を求められることがあります。こうした条項は無制限に有効となるものではなく、範囲・期間・代償措置の有無などから、その効力が争われます。開業を予定している方にとっては、解雇そのものと同じくらい重要な問題です。
解雇を告げられたときに、まずすべきこと

①解雇理由証明書を請求する
労働基準法第22条(退職の日までは第2項、退職後は第1項)に基づき、解雇の理由を記載した証明書の交付を求めてください。口頭のやり取りだけでは、後から理由が差し替えられてしまいます。
②退職届にサインしない
「自己都合退職にしておきましょう」と勧められても、その場で署名しないでください。自ら退職に同意したと扱われると、解雇を争う道はほぼ閉ざされます。
③契約書と実際の働き方の記録を残す
契約書、シフト表、診療予約の管理画面、報酬の振込記録、院長からの指示が分かるメッセージなど、労働者性を裏づける資料を確保してください。業務委託と主張された場合に決定的な意味を持ちます。
④未払いの残業代がないか確認する
労働者と認められる場合、診療時間外のミーティングや片付け、技工物の確認などに要した時間は労働時間です。解雇の問題と併せて、未払賃金を請求できることが少なくありません。
歯科医院特有の事情が争点になる場面

雇用契約書がない場合の労働条件の立証
小規模な歯科医院では、労働条件通知書も就業規則も作られていないことがあります。しかし、書面がないことは、労働条件が存在しないことを意味しません。給与の振込記録、シフト表、求人票の記載、採用時のやり取りなどから、労働条件は認定されます。
また、常時10人以上の労働者を使用する事業場には就業規則の作成・届出義務がありますので、規模によっては、規則がないこと自体が問題となります。
歩合給・売上連動の報酬の扱い
自費診療の売上に連動する歩合給が定められている場合、解雇後の賃金(バックペイ)をいくらと算定するかが問題になります。直近数か月の実績を基礎に算定するのが一般的ですので、給与明細と売上の記録を残しておくことが重要です。
親族経営と人選の合理性
歯科医院では、院長の配偶者が事務長を務めるなど、親族が経営に関与していることが少なくありません。経営難を理由に勤務歯科医だけを解雇する一方で、親族の待遇には手をつけていないといった事情は、整理解雇における人選の合理性を否定する方向に働きます。
解決までの流れと期間の目安

通知書の送付と交渉
まず代理人から内容証明郵便で通知を出し、解雇の撤回や解決条件について交渉します。相手方に代理人が就けば、比較的短期間で条件の話に入れることも多くあります。
労働審判
交渉がまとまらない場合には、労働審判を申し立てます。第1回の期日は申立てから原則40日以内に指定され、原則3回以内の期日で審理が終わります。個人経営の医院を相手方とする事案でも、有効に機能する手続です。
訴訟・和解
労働審判に異議が出された場合には訴訟に移行します。訴訟のなかで和解によって解決する例も多く、その場合には退職の形式や在職中の秘密保持の範囲まで含めて取り決めることになります。
解雇された後の生活を支える手続

雇用保険の基本手当は会社都合として扱われる
解雇による離職は、原則として会社都合の離職(特定受給資格者)として扱われ、自己都合退職の場合のような給付制限を受けることなく基本手当を受給できます。所定給付日数も、多くの場合、自己都合退職より長く設定されています(年齢や被保険者であった期間によっては同じ日数となることもあります)。
ただし、「自己の責めに帰すべき重大な理由による解雇」(重責解雇)と判断された場合には特定受給資格者に当たらず、給付制限を受けることになります。解雇の効力そのものを争っている場合には、その事情もハローワークに伝えてください。
離職票に記載された離職理由に納得できない場合には、ハローワークに異議を申し出ることができます。会社都合であるはずなのに「一身上の都合」と記載されていないか、必ず確認してください。
解雇を争いながら基本手当を受けられる場合がある
解雇の効力を争っている場合でも、現に就労できていないのであれば、基本手当を受給できることがあります。ただし、後に解雇が無効となって賃金がさかのぼって支払われたときは、受給した基本手当の返還などが必要になる場合がありますので、あらかじめハローワークに事情を伝えておくことが大切です。
健康保険は任意継続と国民健康保険を比較して選ぶ
退職後の健康保険には、これまでの健康保険を任意継続する方法と、国民健康保険に加入する方法があります。保険料の額や扶養家族の人数によって有利不利が変わりますので、期限内に比較して選択してください。任意継続は、退職日の前日までに継続して2か月以上の被保険者期間があることを要件に、資格喪失日(退職日の翌日)から20日以内に申し出る必要があり、加入できる期間は最長2年です。国民健康保険は、原則として退職日の翌日から14日以内の届出となります。
弁護士に依頼するメリット

労働者性の主張を法的に組み立てられる
業務委託と主張された場合でも、実態を示す資料を整理し、労働者性を基礎づける主張を組み立てることができます。ここは専門的な判断が必要な場面です。
院長と直接やり取りせずに済む
狭い院内で毎日顔を合わせてきた相手と、退職条件を交渉するのは大きな負担です。弁護士が代理人として窓口になれば、感情的な対立を避けて話を進められます。
労働審判で短期間の解決を目指せる
労働審判は原則3回以内の期日で審理を終える手続で、数か月での解決が期待できます。次の勤務先や開業の予定が決まっている方にとって、長期化を避けられる点は大きな利点です。
当事務所のサポート内容

①契約内容と実態の分析
契約書と実際の働き方を照らし合わせ、労働者性の有無と解雇の有効性について見通しをお伝えします。
②歯科医院との交渉
解雇の撤回、復職、または適正な解決金の支払いを求めて交渉します。未払残業代がある場合には併せて請求します。
③労働審判・訴訟の申立て
交渉が難しい場合には、地位確認と未払賃金の支払いを求める労働審判または訴訟を提起します。
④競業避止条項のチェック
開業や転職の予定を踏まえ、競業避止条項や守秘義務条項が不当に広くないかを精査し、必要に応じて修正を求めます。
おわりに

歯科医院という小さな組織では、院長の一存で物事が決まってしまいがちです。しかし、そこで働く歯科医師が労働法の保護を受けることに変わりはありません。
「揉めたくない」「同じ地域で開業する予定だから」というお気持ちは当然です。だからこそ、法的な見通しを持ったうえで、どう幕を引くかを決める必要があります。署名を求められている書面がある方は、その前に一度ご相談ください。
グリーンリーフ法律事務所は、設立以来35年の実績があり、18名の弁護士が所属する、埼玉県ではトップクラスの法律事務所です。
また、各分野について専門チームを設けており、専門チームの弁護士は、各担当分野について知識・経験とも豊富で、大きな強みを持っています。まずは、一度お気軽にご相談ください。
この記事を書いた弁護士:弁護士 遠藤吏恭
労働問題
弁護士登録後、グリーンリーフ法律事務所にて残業代未払い・不当解雇など多数の労働問題を取り扱う。法テラス民事法律扶助審査委員として幅広い労働者支援にも従事。中央大学法科大学院・埼玉工業大学の講師を務め、不当要求防止責任者講習の講師経験を活かした毅然とした交渉力で、依頼人の権利を守る。




