
厚生労働省が公表した令和7年の労働災害発生状況によれば、休業4日以上の死傷者数は13万5,333人にのぼりました。そのうち最も多い事故の型が「転倒」で、実に3万7,195人。全体の約4分の1を占め、前年よりさらに817人増加しています。
死亡者数が700人と過去最少を記録し、全体の死傷者数もほぼ横ばいであるなかで、転倒災害だけが増え続けているのです。
ところが転倒災害は、被災した本人ですら「自分の不注意だから」と考え、労災申請さえせずに済ませてしまうことが少なくありません。会社からも「気をつけていれば防げたでしょう」と言われ、泣き寝入りするケースが目立ちます。
しかし転倒による大腿骨頸部骨折や脊椎圧迫骨折は、長期の入院と手術を要し、重い後遺障害を残すことも珍しくない、決して軽くない災害です。本記事では、転倒災害における会社の法的責任と適正な補償について、埼玉県大宮の弁護士が解説します。
なぜ転倒災害は「最多」であり続けるのか

転倒災害は、特定の危険な業種に偏って発生するものではありません。製造業、商業(小売業)、保健衛生業(病院・介護施設)、飲食店、運送業など、あらゆる職場で日常的に起きています。
転倒の三つの類型
労働災害としての転倒は、大きく「滑り」「つまずき」「踏み外し」の三つに分けられます。
「滑り」は、厨房の油、雨天時の床の水濡れ、清掃直後の濡れた通路などで起こります。「つまずき」は、通路に置かれた台車や資材、床のコード、段差、めくれたマットなどが原因です。「踏み外し」は、階段、トラックの荷台、脚立、段差のある通路などで発生します。
高年齢労働者の増加という構造的要因
転倒災害が増え続けている最大の要因は、労働力の高齢化です。休業4日以上の労働災害のうち60歳以上の労働者が占める割合は既に26%を超えており、この傾向は今後さらに強まると見込まれています。
加齢に伴う平衡感覚や筋力、視力の低下は、転倒のリスクを大きく高めます。そして同じように転んでも、若い労働者なら打撲で済むところが、高年齢労働者では骨折に至り、長期入院から寝たきりに至るという重大な結果を招きやすいのです。
「本人の不注意」で片付けられない法的な理由

転倒災害で会社の責任を追及するうえで最も重要なのは、「転ぶのは本人の不注意だ」という発想そのものが、労働安全衛生法の考え方に反しているという点です。
労働安全衛生法は高年齢労働者への配慮を求めている
労働安全衛生法は、事業者に対し、中高年齢者その他労働災害の防止上その就業に当たって特に配慮を必要とする者については、これらの者の心身の条件に応じて適正な配置を行うよう努めなければならないと定めています。
さらに、国は「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」、いわゆるエイジフレンドリーガイドラインを策定し、身体機能の低下を前提とした職場環境の改善を求めています。
会社に求められる具体的な転倒防止措置
ガイドラインが求めているのは、精神論ではなく具体的なハード面の対策です。作業場の照度を確保して段差や障害物を視認できるようにすること、通路の段差を解消し、床の凹凸やめくれを補修すること、水や油で濡れやすい場所には滑りにくい床材を用い、こまめに清掃すること、防滑靴(滑りにくい靴)を支給すること、階段に手すりを設けることなどが挙げられます。
これらの措置を講じないまま、「気をつけて歩くように」と朝礼で注意喚起するだけでは、安全配慮義務を尽くしたとは到底いえません。
人がミスをする前提で設備を整えるのが法の要請
労働安全衛生法の根底にあるのは、人はどれだけ注意していてもミスをするという前提に立ち、それでも大けがに至らない設備・環境を整えるべきだという考え方(フェールセーフ)です。
したがって、「本人が注意していれば防げた」という主張は、会社の責任を免れさせる理由にはなりません。むしろ、注意力に頼らなければ安全を保てない職場環境をつくっていたこと自体が、会社の落ち度なのです。
転倒による後遺障害と賠償額

軽視できない転倒の重篤性
転倒によって生じやすいのは、大腿骨頸部骨折、脊椎圧迫骨折、上腕骨や手関節の骨折、そして頭部を打った場合の外傷性脳損傷です。
大腿骨頸部を骨折すれば人工骨頭置換術が必要となり、股関節の可動域制限や下肢の短縮といった後遺障害が残ります。脊椎圧迫骨折では、脊柱の変形障害や慢性的な腰背部痛が残ることがあります。頭部外傷では、記憶障害や注意力の低下といった高次脳機能障害が問題となります。
労災保険では慰謝料が支払われない
労災保険からは、治療費、休業補償、後遺障害が残った場合の障害補償給付が支給されます。しかし、痛みや不自由さに対する慰謝料は1円も含まれていません。
後遺障害等級に応じた慰謝料は、裁判基準では第12級で290万円、第13級で180万円、第14級で110万円が目安となり、より重い等級では1,000万円を超えることもあります。これに逸失利益が加算されると、賠償総額は数百万円から数千万円規模に達します。
高年齢者だからといって賠償額が低いとは限らない
会社側から「もう定年間近だったのだから、逸失利益はほとんど発生しない」と主張されることがあります。しかし、高年齢者であっても就労可能年数は残っており、再雇用や継続雇用の実態、実際の収入、年金との関係などを丁寧に立証することで、相応の逸失利益が認められます。
また、介護が必要な状態になった場合には、将来介護費という高額な費目が加わることもあります。
弁護士に依頼するメリット

「不注意」という会社側の主張に法的に反論できる
転倒災害では、他の災害以上に強く過失相殺が主張されます。弁護士は、労働安全衛生法やエイジフレンドリーガイドライン、過去の裁判例に基づき、会社が講じるべきであった具体的措置を特定し、責任の所在を明確にします。
現場の危険を裏づける証拠を収集できる
転倒した場所の写真、床材の種類、照度の測定結果、支給されていた靴の種類、過去に同じ場所でヒヤリハットが報告されていなかったかを示す安全衛生委員会の議事録などが重要な証拠となります。弁護士が代理人として、これらの資料の開示を会社に求めます。
労災申請そのものからサポートできる
「転んだだけで労災申請するのは大げさだ」と会社に言われ、健康保険で治療してしまっている方も少なくありません。弁護士は、労災申請の段階からサポートし、適正な給付を受けられるようにします。
転倒災害で必ず確認すべき五つのチェックポイント

「自分の不注意だった」と思っている方も、次の五点を思い返してみてください。一つでも当てはまるなら、会社の責任を問える可能性があります。
①その場所は以前から危険だと言われていなかったか
同じ場所で他の従業員も滑ったことがある、以前からヒヤリハットが報告されていた、改善を求めたのに放置されていた——こうした事情があれば、会社は危険を認識しながら対策を怠っていたことになります。
②滑りにくい靴が支給されていたか
厨房、食品工場、清掃現場など、床が濡れやすい職場では、防滑機能のある作業靴の支給が求められます。私物のスニーカーで作業させていた場合、それ自体が対策の欠如を示します。
③通路に物が置かれていなかったか
通路に台車、資材、段ボール、コードなどが置かれた状態が常態化していた場合、整理整頓(4S活動)が徹底されていなかったことになります。
④照明は十分だったか
段差や障害物を視認するには、十分な明るさが必要です。倉庫や機械室、夜間の屋外通路などで照度が確保されていなかった場合、会社の管理不足です。
⑤急がせる指示がなかったか
人員不足のなかで時間に追われ、走らざるを得なかった、両手がふさがった状態で運ばざるを得なかった——そうした業務体制そのものが、転倒の原因となっていることがあります。
当事務所のサポート内容

当事務所の労災チームでは、転倒災害について、次のような形でご支援しています。
①労災申請のサポート
「転んだだけ」として処理されそうな事案でも、休業4日以上に至っていれば労災の対象です。申請手続を最初から丁寧にサポートします。
②現場の危険性の調査
床材、照度、段差、通路の状況、支給されていた靴の種類などを調査し、写真や記録によって現場の危険性を可視化します。
③高年齢労働者への配慮義務違反の主張
労働安全衛生法の配慮義務およびエイジフレンドリーガイドラインに照らし、会社が講じるべきであった措置を特定して主張します。
④後遺障害等級認定と賠償交渉
大腿骨頸部骨折や脊椎圧迫骨折による可動域制限・変形障害について、適正な等級の認定を目指し、裁判基準で賠償額を算定します。
おわりに

転倒災害は、労働災害のなかで最も件数が多く、そして最も軽く見られている災害です。しかしその結果は、時に一生にわたる後遺障害となって被災者の生活を変えてしまいます。
「自分が転んだだけだから」と諦める前に、その職場に本当に危険がなかったのかを、一度専門家とともに検証してみてください。私たちは、被災された方が正当な補償を受けられるよう、全力でサポートいたします。
グリーンリーフ法律事務所は、設立以来35年の実績があり、18名の弁護士が所属する、埼玉県ではトップクラスの法律事務所です。
また、各分野について専門チームを設けており、専門チームの弁護士は、各担当分野について知識・経験とも豊富で、大きな強みを持っています。まずは、一度お気軽にご相談ください。
この記事を書いた弁護士:弁護士 遠藤吏恭
労働災害(労災)
弁護士登録後、労災認定申請から損害賠償請求まで幅広く対応。法テラス民事法律扶助審査委員として経済的に困難な被災労働者の支援にも積極的に携わる。不当要求防止責任者講習の講師経験を活かした毅然とした交渉力で、使用者側との厳しい交渉にも臆せず対応。中央大学法科大学院・埼玉工業大学講師も務める。






