
経営者や人事担当にとって、「固定残業代(みなし残業代)」は、給与計算の効率化や採用時の見栄えを良くするために非常に便利な制度の一つです。
もっとも、「固定残業代制を導入しているから、残業代対策は万全だ」という思い込みこそが、最も危険な経営リスクとなり得ます。
近年の裁判例では、固定残業代の有効性が非常に厳格に判断される傾向にあります。
制度設計を一つ見誤れば、過去3年分の未払い残業代に「付加金(ペナルティ)」が加わり、数千万円規模の支払い命令が下るケースも珍しくありません。
このコラムでは、弁護士の視点から、固定残業代の正しい仕組みと、法的なリスクを回避するための実務上の注意点を徹底的に解説します。
固定残業代制の正体について 誤解が生む経営リスク

固定残業代制とは、実際の残業時間の有無にかかわらず、あらかじめ一定額の残業手当を支払う仕組みです。
しかし、ここで絶対に誤解してはならないのが、「いくら残業させても、この金額だけで済む」という、「定額働かせ放題制度ではない」ということです。
法的には、あくまで「実際の残業代の先払い」という性質を持ちます。
そのため、以下の原則が貫かれます。
・実際に発生する残業代が固定額を上回った場合→その差額を支払わなければならない。
・実際の残業時間が固定額に満たない場合→固定額全額を支払わなければならない(カットできない)。
この基本を忘れてしまうと、労働基準監督署の是正勧告や、退職者からの残業代請求訴訟の格好の標的となりますのでご注意ください。
裁判で負けないための「有効性の要件」

裁判所が固定残業代を有効と認めるには、主に以下の要件(判例法理)をクリアしている必要があります。
これを一つでも欠くと、支払っていた手当は「残業代」と認められず、単なる「基本給の一部」とみなされてしまいます。
その結果、「残業代を1円も払っていない」という前提で、全額を計算し直されるという最悪の事態を招きますのでご注意ください。
① 判別可能性(明確区分性)
基本給(あるいは他の手当)と、固定残業代の部分が明確に区別されている必要があります。
NG例:「月給30万円(残業代を含む)」
OK例:「基本給24万円、固定残業手当6万円(時間外労働40時間分相当)」
② 対価性
その手当が「時間外労働の対価」として支払われている実態があるということが必要です。
名目だけ「営業手当」として、実際には残業代の趣旨が含まれていると主張したとしても、雇用契約書や就業規則にその旨が明記されていなければ認められないと考えられます。
③ 差額精算の合意とその実施
「固定分を超えて残業した場合には、その差額を別途支払う」というルールが周知されており、実際に運用されていることが重要です。
実務担当者が陥りやすい「5つの落とし穴」

次に、弁護士として相談を受ける中で、特に多く見られる企業側のミスについて解説いたします。
1 最低賃金割れの罠
固定残業代を除いた「基本給」の部分を月間の所定労働時間で割った場合の時給が、各都道府県の最低賃金を下回っているケースです。
固定残業代を多く設定しすぎて、基本給を低く抑えている会社によく見られます。
これは最低賃金法に反しますのでご注意ください。
2 基礎単価の計算ミス
残業代の単価を計算する際、固定残業代を除外して計算していないでしょうか?
もし固定残業代以外に「役職手当」や「業務手当」がある場合、それらも残業代計算の基礎に含める必要があります。
これを見落とすと、固定分を超えた際の「差額計算」がすべて過小評価となり、未払いが生じてしまいますのでご注意ください。
3 「みなし時間」が長すぎる(公序良俗違反)
「月80時間分の固定残業代を支給する」といった規定は、過労死ラインを超える長時間労働を前提としており、公序良俗に反して無効とされるリスクが極めて高いです。
一般的には、36協定の原則的な上限である月45時間の範囲内で設定するのが安全です。
4 計算式の不備
雇用契約書に「〇時間分」とだけ書き、金額を書かない、あるいはその逆のケースです。
現在の実務では、以下の3点をセットで記載することが強く推奨されますのでご参考ください。
・固定残業代の金額(例:65,000円)
・該当する時間数(例:40時間分)
・超過分を別途支払う旨の明文化
5 労働時間の把握義務の放棄
「固定残業代を払っているから、タイムカードは不要」という勘違いです。
先ほど解説したとおり、固定残業代の超過分について差額支払義務がある以上、会社には正確な労働時間を把握する義務があります。
客観的な記録がない場合、労働者側の「手書きメモ」や「家族へのLINE」が証拠として採用され、会社側は反論できずに敗訴してしまう可能性がありますのでご注意ください。
請求を防ぐための方策について

残業代請求を防ぐためには、出口戦略(証拠作り)がすべてです。
以下の3点を今すぐ確認してください。
・就業規則・雇用契約書の記載
「基本給には月45時間分の時間外手当が含まれる」という抽象的な表現は避けましょう。
推奨される記載例
「第〇条(固定残業手当)
1 会社は、従業員に対し、時間外労働の対価として固定残業手当を支給する。
2 固定残業手当の額および相当する時間外労働の時間は、以下の通りとする。
基本給:〇〇円 固定残業手当:〇〇円(時間外労働40時間分相当)
3 前項の時間を超えて時間外労働、休日労働および深夜労働を行った場合は、その超過分について別途割増賃金を支払う。」
・給与明細の適正化
給与明細でも、基本給と固定残業代を別欄に分け、今月は何時間分としていくら支払われたのかを明示すべきです。
もし残業代請求を受けてしまったら

もし労働者や弁護士から通知書(内容証明)が届いたら、初動を誤らないことが肝心です。
感情的に反論しない→「あいつは仕事が遅かったから残業代は出ない」といった主張は、法的には通用しません。
1 労働時間を精査する: タイムカード、PCのログ、入退館記録を突き合わせ、客観的な労働時間を確定させます。
2 固定残業代の有効性を検討する: 自社の規定が上記の「判別可能性」「対価性」を満たしているか、弁護士と共に厳しくチェックします。
もし規定に不備があった場合、早期に和解交渉に切り替える方が、付加金や遅延損害金(退職後は年14.6%)を抑えられ、最終的な損失を最小限にできることが多いです。
まとめ

固定残業代制は、正しく運用すれば経営の安定に寄与しますが、一歩間違えれば会社を揺るがす可能性があります。
そこで、まずは下記事項についてチェックすることをお勧めします。
・契約書・就業規則の文言を、「金額」「時間」「超過精算」の3点セットに修正する。
・固定残業代を除いた時給が、最低賃金をクリアしているか再計算する。
・「固定だから安心」を捨て、労働時間の記録を徹底する。
労働法規は日々アップデートされ、裁判所の判断も厳格化しています。「昔からこのやり方だから」という慣習を捨て、法的に隙のない制度へアップデートすることが、結果として会社と従業員の双方を守ることに繋がります。
何かお悩みありましたらご相談ください。
グリーンリーフ法律事務所は、設立以来35年以上の実績があり、18名の弁護士が所属する、埼玉県ではトップクラスの法律事務所です。 企業が直面する様々な法律問題については、各分野を専門に担当する弁護士が対応し、契約書の添削も特定の弁護士が行います。まずは、一度お気軽にご相談ください。
また、企業法務を得意とする法律事務所をお探しの場合、ぜひ、当事務所との顧問契約をご検討ください。
※ 本コラムの内容に関するご質問は、顧問会社様、アネット・Sネット・Jネット・保険ネット・Dネット・介護ネットの各会員様のみ受け付けております。





