
金属の溶接、切断、研磨、鋳物製造といった金属加工の現場は、日本のモノづくりを支える重要な基盤です。しかし、そこには目に見えない微細な粉じんや、アーク溶接などで金属が熱で気化して発生する煙「溶接ヒューム」が大量に舞っています。
これらの粉じんやヒュームを長期間にわたって吸い込み続けることで、肺の組織が線維化して硬くなり、呼吸困難を引き起こす病気が「じん肺」です。じん肺は現代の医学でも根本的な治療法がない不治の病とされ、肺結核や肺がんといった致死的な合併症を引き起こすリスクも高い、極めて恐ろしい職業病です。
業務によってじん肺に罹患した場合、まずは労働基準監督署を通じて労災保険を申請し、国からの補償を受けることが第一歩となります。じん肺の場合は「じん肺管理区分(管理1〜4)」という基準によって症状の程度が評価され、労災認定が下りれば、治療費や休業補償、障害補償年金などが支給されます。
しかし、ここで忘れてはならない重要な事実があります。国の労災保険の給付には、被災者が息苦しさや合併症の恐怖と闘いながら一生を過ごすことに対する精神的苦痛を慰謝する「慰謝料」が一切含まれていないという点です。また、働き続けることができなくなったことで失われた将来の収入である逸失利益についても、労災保険の給付だけでは実際の損害額の全額をカバーすることはできません。
これらの「労災保険では足りない損害」を補填し、適正な補償を得るためには、粉じん対策を怠って労働者の健康を奪った会社(雇用主や元請け企業)に対して、直接損害賠償(民事賠償)を請求する必要があります。本記事では、じん肺や溶接ヒュームによる健康被害において会社に問われる法的責任や、時効・証拠集めの壁、そして適正な賠償金を勝ち取るための弁護士の役割について、労働災害問題に精通した埼玉県大宮の弁護士が詳しく解説します。
長年の粉じん作業で肺を蝕む「じん肺」と合併症の恐ろしさ

じん肺は、一日や二日粉じんを吸っただけで発症するものではなく、5年、10年、場合によっては20年以上という長期間のばく露(吸い込み)の蓄積によって、徐々に進行していく遅発性の疾患です。
じん肺の症状とじん肺法による管理区分
初期の段階では無症状のことも多いですが、進行すると咳や痰が止まらなくなり、少し動いただけで激しい息切れ(呼吸困難)に襲われるようになります。最終的には酸素ボンベが手放せない生活となり、日常生活全般に介助が必要になるケースも少なくありません。じん肺法では、粉じん作業に従事した労働者の肺の状態を、エックス線写真の所見などに基づいて管理1から管理4までの4段階のじん肺管理区分に分類しています。最も重症の管理4に該当する場合や、肺結核・続発性気管支炎・原発性肺がんなどの合併症を発症した場合は、労災保険の対象として各種給付が行われます。
「溶接ヒューム」の危険性と規制の強化
近年とくに注目されているのが、アーク溶接作業などで発生する溶接ヒュームです。溶接ヒュームにはマンガンなどの有害な化学物質が含まれており、長期間吸い込むと、じん肺だけでなくパーキンソン病に似た神経障害(マンガン中毒)を引き起こす危険があることが医学的に明らかになりました。そのため、令和3年(2021年)4月の法令改正により、溶接ヒュームは特定化学物質に指定され、特定化学物質障害予防規則(特化則)という厳しい規制の対象となりました。これにより、金属加工の現場における会社側の責任は、従来以上に重く、厳格なものとなっています。
じん肺・ヒュームばく露における会社の「安全配慮義務違反」

会社に損害賠償を請求するためには、単に「長年工場で働いていたからじん肺になった」という事実だけでなく、会社側に「粉じんの危険性を認識しながら、労働者を守るための法的な対策を怠った」という安全配慮義務違反(過失)があったことを証明する必要があります。労働安全衛生法や粉じん障害防止規則(粉じん則)、特定化学物質障害予防規則(特化則)などに基づき、会社には次のような安全対策が義務付けられています。これらが守られていなかった場合、会社の明確な過失として賠償責任が問われます。
①局所排気装置・換気装置の設置・稼働の不備
粉じんやヒュームが飛散する屋内作業場では、発生源から直接有害物質を吸い込んで排出する局所排気装置やプッシュプル型換気装置、あるいは作業場全体の空気を入れ替える全体換気装置を設置し、適切に稼働させることが法的に義務付けられています。「換気扇が家庭用のもので吸い込みがまったく足りていなかった」「電気代を惜しんで排気装置を回していなかった」「フィルターの清掃を怠り、機能していなかった」といった実態があれば、重大な安全配慮義務違反となります。
②有効な呼吸用保護具(防じんマスク等)の支給・着用指導の欠如
換気設備を設けても粉じんの飛散を防ぎきれない場合や、溶接作業などを行う場合には、国家検定に合格した有効な防じんマスクや送気マスクを支給し、確実に着用させなければなりません。「普通の布マスクやガーゼマスクしか配られていなかった」「フィルター(ろ過材)の交換基準を定めておらず、真っ黒になったものを使い回させていた」「息苦しいからとマスクを外して作業しているのを現場監督が黙認していた」といった状況は、会社の安全管理体制の欠落を示しています。
③「じん肺健康診断」等の実施義務違反
常時粉じん作業に従事する労働者に対しては、一般的な定期健康診断だけでなく、定期的にじん肺健康診断(エックス線検査や肺機能検査)を実施する義務があります。この健診を怠っていたり、健診結果でじん肺の所見が疑われたにもかかわらず、粉じん作業から外す(配置転換)などの適切な措置をとらずに放置し、症状を悪化させたりした場合、会社の責任は免れません。
過去の勤務先への賠償金請求に向けた「証拠集め」のポイント

じん肺は潜伏期間が数十年におよぶ病気であるため、いざ発症して会社を訴えようとした際に、「もう昔のことだから証拠がない」とあきらめてしまう被災者が少なくありません。しかし、あきらめる必要はありません。会社に安全配慮義務違反を追及するためには、次のような証拠を多角的に集めることが重要です。
就労・作業環境に関する証拠
いつからいつまで、どの会社に在籍していたかを客観的に証明する年金記録(被保険者記録照会回答票)は、基本となる資料です。あわせて、換気設備が不十分であったことや粉じんが舞う劣悪な環境であったことを示す当時の作業現場の写真や図面、「排気装置はいつも壊れていた」「防じんマスクを配られたことは一度もない」といった当時のずさんな安全管理の実態を示す元同僚の証言(陳述書)も、非常に強力な証拠となります。
医学的・公的な証拠
労働局から通知されるじん肺管理区分の決定通知書は、じん肺の程度を示す最も確実な証拠です。あわせて、いつから自覚症状が出たのか、肺の線維化がどの程度進行しているのかを証明する医療機関の診断書・カルテ・CT・レントゲン画像や、過去のじん肺健康診断の結果記録も重要です。これらの一部や作業環境測定の記録は会社側に保管されているため、後述するように弁護士の法的な権限を用いて開示させることが有効な手段となります。
じん肺の賠償金請求を弁護士に依頼すべき理由

じん肺や溶接ヒュームによる被害について、被災者やご遺族がご自身で会社と交渉し、慰謝料などの適正な賠償金を勝ち取ることは、法的な壁が多く、現実的ではありません。労災問題に強い弁護士に依頼すべき理由を説明します。
「時効」と「会社の倒産」という壁を乗り越える
会社に対する損害賠償請求には消滅時効があり、過去に退職した会社を訴える場合、会社側は「もう何十年も前のことだから時効だ」と必ず反論してきます。しかし、じん肺のような遅発性の病気では、弁護士が介入すれば、じん肺法に基づく管理区分の決定を受けた日や死亡した日などを時効の起算点として的確に主張し、被災者の請求権を守り抜くことができます。また、原因となった会社がすでに倒産・廃業している場合でも、弁護士の調査により、当時の代表取締役などの個人責任を追及したり、作業を統括・指示していた元請け企業に対して責任を追及できる可能性があります。
「たばこのせい」「個人の不注意」という責任逃れに対抗する
会社側や保険会社は、賠償金の支払いを免れるために、「息苦しいのは粉じんのせいではなく長年の喫煙習慣のせいだ」「マスクを外していた本人の過失だ」と激しく反論してきます。弁護士は、専門医の医学的所見や、労働者のミスを前提とした設備的対策を求める労働安全衛生法の理念を踏まえ、こうした不当な反論を論理的かつ法的に封じ込めます。
「裁判基準」による適正な賠償金(慰謝料・逸失利益)の獲得
じん肺が進行して重度の障害が残ったり、合併症で亡くなられたりした場合、裁判基準(いわゆる赤本基準)では、死亡慰謝料だけで2,000万円から2,800万円程度の請求が認められるケースがあります。これに、将来の労働能力喪失に対する逸失利益を加えると、賠償金の総額が数千万円から、事案によっては1億円に迫ることもあります。会社側が「お見舞金」として提示してくる数十万円から数百万円の示談金で安易に妥協せず、弁護士が裁判基準を用いて交渉・訴訟を行うことで、被害に見合った正当な補償を勝ち取ることができます。
「弁護士会照会」等による証拠収集
当時の記録が手元になくても、弁護士は弁護士会照会という権限を用いて、官公庁や医療機関に資料の開示を求めることができます。また、会社が都合の悪い作業環境測定結果や健診記録を隠すおそれがある場合には、裁判所を通じた証拠保全手続きにより、証拠を確保することも可能です。
おわりに

金属加工や溶接の現場で日本の産業を支えてきた労働者の方々が、長年の過酷な作業の末に「息が吸えない」という極限の苦しみを味わうことは、決して「仕方のない職業病」で片付けられてよい問題ではありません。会社が法的な安全対策(換気やマスクの徹底)を怠り、その結果としてご本人やご家族の健康と人生が損なわれたのであれば、適正な賠償金を受け取ることは法的に認められた当然の権利です。
「昔の溶接作業が原因で息苦しい」「じん肺で労災認定されたが、会社に慰謝料を請求できるか知りたい」「原因となった会社が倒産していてどうすればよいかわからない」とお悩みの方は、一人で抱え込まず、私たちにご相談ください。ご本人とご家族の正当な権利を守り、これからの生活を支えるための適正な賠償金の獲得に向けて、全力でサポートいたします。
グリーンリーフ法律事務所は、設立以来35年の実績があり、18名の弁護士が所属する、埼玉県ではトップクラスの法律事務所です。
また、各分野について専門チームを設けており、専門チームの弁護士は、各担当分野について知識・経験とも豊富で、大きな強みを持っています。まずは、一度お気軽にご相談ください。
この記事を書いた弁護士:弁護士 遠藤吏恭
労働災害(労災)
弁護士登録後、労災認定申請から損害賠償請求まで幅広く対応。法テラス民事法律扶助審査委員として経済的に困難な被災労働者の支援にも積極的に携わる。不当要求防止責任者講習の講師経験を活かした毅然とした交渉力で、使用者側との厳しい交渉にも臆せず対応。中央大学法科大学院・埼玉工業大学講師も務める。






