近年の残業代請求案件の増加傾向

近年、残業代請求案件が増加しています。
司法統計という、最高裁判所が公表している統計があるのですが、この統計から、労働審判事件(賃金手当についての事件(解雇予告手当を含む))の推移を見てみたいと思います。
この種の事件は、平成23年度は1179件、平成28年度は1393件、令和元年度は1535件、令和2年度は1501件となっていますので、令和元年・2年度は、平成23年度比で約1.5倍となっています。

司法統計情報

このように、近年、残業代請求案件が増加しています。

残業代請求権とは

そもそも、残業代請求権に定義はあるのでしょうか。
労働者の賃金を定めている法律は各種ありますが、「残業代請求権」という表現で定義されているものはありません。

しかし、労働基準法は第37条第1項において、

「使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。ただし、当該延長して労働させた時間が一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。」

としています。

また、同条第4項では、「使用者が、午後十時から午前五時まで(厚生労働大臣が必要であると認める場合においては、その定める地域又は期間については午後十一時から午前六時まで)の間において労働させた場合においては、その時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の二割五分以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。」

として、深夜労働における割増賃金について規定しています。

このように、労働基準法は、使用者に対する、時間外や深夜労働の割増賃金支払い義務を定めています。

一般には、この割増賃金のことを残業代と呼んでおり、この支払い請求権を残業代請求権と呼ぶことが多いのではないかと考えられます。
本項では、割増賃金請求をする権利を、「残業代請求権」と表現して説明していきます。

残業代請求権の消滅時効の延長

この「残業代請求権」には、消滅時効があります。

「消滅時効」とは、権利の不行使という事実状態の継続によって、権利自体が消滅するとする制度(近江幸治「民法講義Ⅰ」)です。
権利があるのに消滅してしまうのは、事実状態の尊重、証明の困難性、「権利の上に眠る者は保護に値しない」というローマ法諺に由来する考え方、と言われています(近江幸治「民法講義Ⅰ」)。
従って、残業代請求権に限らず、すべての請求権において、消滅時効を意識しておくことが重要です。

2年から3年への延長に関する背景・理由

ところで、残業代請求権の消滅時効は、長らく、2年とされてきました。
かつて民法では、一般的な債権の消滅時効は10年とされ、残業代を含む賃金、すなわち、「労力の提供…を業とする者の報酬」請求権は、消滅時効が1年と定めていました。

しかし、これでは労働者保護に欠けることから、特別法である労働基準法において、消滅時効が2年とされていました(退職金については5年)。

このように、残業代請求権は長らく2年の消滅時効でしたので、請求側・被請求側ともに、2年の残業代というのを意識することが長らく続いていました。

ところが、2020年4月1日に施行された改正民法で、賃金の1年の短期消滅時効や、医師・工事等の報酬請求権の3年の短期消滅時効、弁護士の報酬請求権の2年の短期消滅時効など、すべての短期消滅時効の規定が廃止となりました。

そして、次のように時効が規定されました。

第166条 債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
一 債権者が権利を行使することができることを知った時から五年間行使しないとき。
二 権利を行使することができる時から十年間行使しないとき。
2 債権又は所有権以外の財産権は、権利を行使することができる時から二十年間行使しないときは、時効によって消滅する。
3 前二項の規定は、始期付権利又は停止条件付権利の目的物を占有する第三者のために、その占有の開始の時から取得時効が進行することを妨げない。ただし、権利者は、その時効を更新するため、いつでも占有者の承認を求めることができる。

(人の生命又は身体の侵害による損害賠償請求権の消滅時効)
第167条 人の生命又は身体の侵害による損害賠償請求権の消滅時効についての前条第一項第二号の規定の適用については、同号中「十年間」とあるのは、「二十年間」とする。

(定期金債権の消滅時効)
第168条 定期金の債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
一 債権者が定期金の債権から生ずる金銭その他の物の給付を目的とする各債権を行使することができることを知った時から十年間行使しないとき。
二 前号に規定する各債権を行使することができる時から二十年間行使しないとき。
2 定期金の債権者は、時効の更新の証拠を得るため、いつでも、その債務者に対して承認書の交付を求めることができる。

(判決で確定した権利の消滅時効)
第169条 確定判決又は確定判決と同一の効力を有するものによって確定した権利については、十年より短い時効期間の定めがあるものであっても、その時効期間は、十年とする。
2 前項の規定は、確定の時に弁済期の到来していない債権については、適用しない。

このように、債権の消滅時効は、主観的には5年、客観的には10年となったことから、労働基準法での時効をどのようにするかが問題となりました。

特別法である労働基準法は、一般法である民法に優先しますので、消滅時効についての規定が労働基準法にある場合には、民法ではなく、これが適用されることになるのです。

しかし、労働基準法での残業代請求権の消滅時効2年・改正民法での債権の消滅時効5年となるとすると特別法である労働基準法が適用されてしまう結果、却って消滅時効までの期間が短くなり、労働者保護が不十分になるという逆転現象が起こることになります。
そこで、労働基準法の消滅時効を5年とすることが検討され始めたのですが、今度は、経済界から、反発が生じました。

この時効期間について、2019年12月24日に開催された第157回労働政策審議会労働条件分科会では、使用者側委員からは次のような主張がなされました。

「労基法は刑罰法規であること、そして賃金債権の特殊性がある。また、企業が置かれているさまざまな事情を考えると、民法改正と連動して改正する必要はなく、2年間の消滅時効を維持すべきということをこれまでも繰り返し申し上げてきたところでございます。
特に強調したい点は、賃金債権には一般の債権にはない特殊性があるということであります。賃金債権は労働の指示があったか否かが後で紛争となりやすく、過去の事実を裁判上で立証するために相当な証拠保全が必要となりますし、また、保全しようとしても、組織の再編や本人の退職などによって、当時の上司から話を聞くことが難しいケースも出てきます。その他、就労の多様化などに伴い、今後ますます労働時間性の有無や労働者性の有無について、多様な紛争が発生し得ることも鑑みれば、早期の権利義務関係の明確化は非常に重要であると考えています。
また、企業が置かれている実情という点で言えば、中小企業の多くがいまだ紙ベースで管理を行っており、データ化のための人員確保やサーバの確保は負担となってきます。
さらに、企業の人事・労務管理の負担は増加しており、上限規制を遵守するため、長時間労働者のチェック、年休の管理、パワハラの防止等、対応しなければならない課題は多くあります。仮に労基法第115条の改正を検討していくことであっても、これらの事情に鑑み、時効期間はできる限り短くすべきであり、施行時期についてもなるべく企業実務に影響がないようにすべきであるというのが企業側の主張です。」

 

これに対して労働者側委員は、当然、5年を主張しました。

その後、公益委員から、

「賃金請求権について直ちに長期間の消滅時効期間を定めることは、労使の権利関係を不安定化するおそれがあり、紛争の早期解決・未然防止という賃金請求権の消滅時効が果たす役割への影響等も踏まえて慎重に検討する必要がある。このため、当分の間、現行の労基法第109条に規定する記録の保存期間に合わせて3年間の消滅時効期間とすることで、企業の記録保存に係る負担を増加させることなく、未払賃金等に係る一定の労働者保護を図るべきである。」という見解が提示され、この案を労使ともに検討することとなりました。

そして、2020年1月10日開催の第159回労働政策審議会労働条件分科会において、消滅時効期間を3年とすることについて、労使委員とも了承しました。
その結果完成したのが、次のような労働基準法です。

第百四十三条 第百九条の規定の適用については、当分の間、同条中「五年間」とあるのは、「三年間」とする。
② 第百十四条の規定の適用については、当分の間、同条ただし書中「五年」とあるのは、「三年」とする。
③ 第百十五条の規定の適用については、当分の間、同条中「賃金の請求権はこれを行使することができる時から五年間」とあるのは、「退職手当の請求権はこれを行使することができる時から五年間、この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)の請求権はこれを行使することができる時から三年間」とする。

今後さらに延長となる可能性も

以上のとおり、現時点では、残業代の時効は3年ということになります。
しかし、3年は「当分の間」とされ、本来の消滅時効期間は5年とされています。
したがって、いつかは(法改正がされない限り)、残業代の消滅時効期間が5年に延長されることになります。

残業代請求の時効の延長に伴う企業のリスク

①未払い残業代の請求をされる可能性
このように、残業代の時効については、2年から3年になりました。
労働者側から見れば、これまで2年しか請求できなかったものに加えてさらに1年分の請求が可能になり、さらに、今後は5年分の請求も可能になる可能性があるという現状は、非常に喜ばしいことと考えられます。
他方、使用者側の観点で考えますと、これは、非常に大きなリスクと言えます。
すなわち、これまでの残業代請求では2年分しか請求されませんでしたが、この2年分であっても、非常に高額になることがありました。
そして、理論的には、これに対する遅延損害金も発生するほか、裁判となった場合には「付加金」という、企業側にとっては非常に恐ろしい制度もあります。
付加金とは、労働基準法で次のように定められています。

(付加金の支払)
第百十四条 裁判所は、第二十条、第二十六条若しくは第三十七条の規定に違反した使用者又は第三十九条第九項の規定による賃金を支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。ただし、この請求は、違反のあつた時から五年以内にしなければならない。

 

すなわち、裁判所の裁量によって、未払残業代と同額の金銭を支払うことが義務付けられる場合があるのです。
これは要するに、未払残業代が2倍になるということとほぼ同視できます。
これまでも、このように、未払残業代の請求があった場合には、企業にとってはとても大きなリスクでした。

そして、現在は、さらに1年分請求される状態となり、今後は5年分請求される可能性も十分にあるという状況は、非常に大きなリスクと言えます。
そして、悪質な残業代の不払いは「付加金」という最大倍額になる懲罰的な金員が科されますので、最大で5年分×2倍の金銭を支払う可能性があることになります。
一人であってもこれは非常に大きな請求ですが、複数からこの請求がされた場合には、中小企業であれば、経営にも非常に大きなダメージとなる可能性があります。
このように、残業代請求の消滅時効の延長は、場合によっては、会社の存立にすら影響を与えるリスクとなります。

②労務管理・勤怠管理資料の保管

時効期間が延長されたということは、その期間は残業代を請求される可能性があるということですから、その期間に対応する労務管理・勤怠管理に関する資料を保管しておくことが必要になります。
資料を保管する場所やデータの容量確保など、企業にとって負担が増えるという意味でこれもリスクと言えます。

③残業代を支払っていないことでの企業への罰則
残業代不払いには、労働基準法において、六カ月以下の懲役または三十万円以下の罰金という罰則が定められています。

第百十九条 次の各号のいずれかに該当する者は、六箇月以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。

このように、刑事罰もあるのです。

④労働基準監督署による監督指導
また、残業代の不払いは、労働基準監督署による監督指導の対象にもなります。

厚生労働省HPには、次の掲載があります。

「厚生労働省は、このたび、労働基準監督署が監督指導を行った結果、令和2年度(令和2年4月から令和3年3月まで)に、不払だった割増賃金が支払われたもののうち、支払額が1企業で合計100万円以上となった事案を取りまとめましたので公表します。

【令和2年度の監督指導による賃金不払残業の是正結果のポイント(詳細別紙1、2)】
(1)是正企業数 1,062企業(前年度比549企業の減)
うち、1,000万円以上の割増賃金を支払ったのは、112企業(前年度比49企業の減)
(2)対象労働者数 6万5,395人(同1万3,322人の減)
(3)支払われた割増賃金合計額 69億8,614万円(同28億5,454万円の減)
(4)支払われた割増賃金の平均額は、1企業当たり658万円、労働者1人当たり11万円
行政に明らかになったものだけで、1000以上の企業・6万5000人以上の労働者について、残業代の未払が存在したのです。

企業が残業代請求を回避するために今すべきこと

①現状の不払い可能性のある残業代の計算
上記の通り、請求される可能性がある以上、残業代請求があった場合の金額については、支払う可能性があるものと考える必要があります。
従って、請求される可能性のある残業代については今のうちから計算しておくことが必要です。

②現在の残業代・歩合給等の給与制度の見直し
上記①が過去のことに対する対応であるとすれば、これは、将来への対応ということになります。
すなわち、今後の残業代を発生させないようにすることが重要です。
なお、制度の見直しに際しては、弁護士への相談が必要です。

③労働時間・労務管理の明確化のためのシステム導入の検討
残業代は、指揮命令下における業務に発生します。
従いまして、いたずらに長い時間勤務しているというだけで残業代が生じないようにするには、労働時間・労務管理を適切に行い、残業代を主張させないようなシステムを作ることが必要です。

残業代請求のリスクがある企業は当事務所にご相談を

当事務所は、さいたま市大宮で30年以上の歴史を誇り、使用者側でも数々の残業代請求訴訟に対応してきました。
裁判所に、労働者の主張する労働時間の一部が労働時間には該当しないことを認定させた事案もあります。
ぜひ、残業代請求のリスクがある企業は当事務所にご相談ください。

■この記事を書いた弁護士
弁護士法人グリーンリーフ法律事務所
弁護士 野田 泰彦
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