
製薬業界では、新薬開発の方針転換や事業再編に伴い、MR(医薬情報担当者)を対象とする人員削減がたびたび行われてきました。希望退職の募集、面談による退職勧奨、そして応じなかった場合の配置転換や解雇です。
MRは、専門知識と医療機関との信頼関係を武器とする職種であり、年収が八百万円から一千万円を超える水準に達する方も少なくありません。それだけに、転職市場は限られ、退職後の収入減が大きくなりがちです。
「早期退職に応じれば割増退職金が出るが、断れば地方への異動になる」。そう告げられ、期限までの回答を迫られて悩まれる方が多くおられます。
本記事では、希望退職と退職勧奨の違い、それに応じない場合に会社が取り得る手段と限界、そして解雇された場合の対応について、埼玉県大宮の弁護士が解説します。
希望退職・退職勧奨に応じる義務はない

退職勧奨はあくまで「お願い」である
希望退職の募集や個別面談による退職の呼びかけは、労働者に退職を促す行為にすぎず、応じる義務はありません。断ったからといって、それ自体が不利益に扱われる理由にはなりません。
一方で、断ったにもかかわらず面談が繰り返される、担当エリアを外される、退職するまで研修室で待機させられるといった対応が取られた場合には、違法な退職強要として損害賠償の対象になり得ます。
合意退職はいったん成立すると覆すのが難しい
退職届や退職合意書に署名すると、原則として合意による退職が成立します。強迫や錯誤を理由に取り消せる場面はありますが、立証は容易ではありません。回答期限を設けられていても、その場で署名しないことが何より重要です。
割増退職金の額は交渉できることがある
希望退職に伴う割増退職金は、会社が示した条件がそのまま確定するとは限りません。特に個別に退職を求められている場合には、割増額や退職日、有給休暇の消化、再就職支援の内容などについて、交渉の余地があります。
退職勧奨に応じなかった場合に会社が取る手段と、その限界

①解雇(整理解雇)
希望退職に応募しなかった従業員を解雇する場合、整理解雇として、人員削減の必要性、解雇回避努力、人選の合理性、手続の相当性という四つの要素から厳格に判断されます。希望退職を募ったこと自体は解雇回避努力の一つですが、それだけで解雇が有効になるわけではありません。
②遠方への配置転換
「異動できないなら退職を」という形で、事実上の退職強要が行われることがあります。就業規則に配転条項があっても、業務上の必要性がない場合、不当な動機・目的による場合、労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を与える場合には、配転命令は権利の濫用として無効となり得ます。
③職種変更・営業成績を理由とする解雇
MRとしての実績を理由に解雇されるケースもあります。しかし、担当エリアや製品、競合の状況によって成績は大きく左右されます。目標未達だけを理由とする解雇には、具体的な指導と改善の機会、配置転換の検討が求められます。
④退職に追い込むための業務外し
担当を持たせない、会議に呼ばない、研修だけを繰り返し受けさせるといった対応は、退職強要の違法性を基礎づける事実になります。指示内容と日付を記録しておくことが有効です。
高年収のMRほど、判断を急がないことが重要

失う生涯収入は割増退職金を上回ることがある
割増退職金として賃金の数か月分から1年分程度が提示されることがありますが、次の職を得るまでの空白期間と、転職後の年収低下を合わせて考えると、その金額では埋まらないことも少なくありません。提示された条件が本当に妥当かを、数字で確認する必要があります。
解雇が無効なら、その間の賃金を請求できる
解雇された場合、それが無効であれば、解雇の日以降の賃金を請求できます(民法第536条第2項)。年収一千万円のMRであれば、争っている期間に応じて相当額が積み上がります。
会社に残るという選択肢も現実的に検討する
退職勧奨を断り、会社に残ることを選ぶ方もおられます。断ったこと自体を理由に解雇することは容易ではなく、実際に残って勤務を続けている例も少なくありません。
もっとも、残ることを選ぶ場合には、その後の評価や配置について不利益な取扱いがないかを継続して確認しておく必要があります。面談の記録を残し、不利益な措置がなされた場合には速やかに異議を述べることが、後の主張につながります。
残るのか、条件を整えて退くのか。いずれを選ぶにせよ、その判断は情報を揃えたうえで行うべきものです。
面談を受けたときに、まずすべきこと

①その場で回答しない
「今日中に」「今週中に」と期限を切られても、応じる義務はありません。検討したい旨を伝え、いったん持ち帰ってください。
②面談の内容を記録する
日時、同席者、発言の要旨を、その日のうちに記録してください。繰り返しの面談や不利益の示唆があった場合、退職強要を主張する有力な資料となります。
③提示された条件を書面でもらう
割増退職金の額、退職日、有給休暇の扱い、再就職支援の内容を書面で受け取ってください。口頭の説明と書面の条件が食い違うことは珍しくありません。
④就業規則・退職金規程を確認する
退職金の算定方法、会社都合退職と自己都合退職の差、競業避止条項の有無を確認しておくことが、判断の前提になります。
⑤同僚と情報を共有する
同時期に複数の従業員が同じ説明を受けていることは珍しくありません。誰にどのような条件が示されているのか、どのような言われ方をしているのかを知ることは、提示された条件の位置づけを把握するうえで役に立ちます。
また、同じ立場の複数名でまとまって対応することで、交渉力が高まる場合もあります。
退職に伴ってよく問題になる周辺の論点

未払いの賞与・インセンティブ
退職日をいつにするかによって、賞与やインセンティブの支給対象から外れることがあります。支給要件に「支給日に在籍していること」が定められているかどうかで結論が変わりますので、賃金規程や賞与規程を必ず確認してください。退職日の設定は、それ自体が交渉の対象です。
競業避止条項
退職合意書に、同業他社への転職を一定期間禁じる条項が含まれていることがあります。こうした条項は当然に有効となるものではなく、制限の期間、地域、対象となる業務の範囲、代償措置の有無などから、その効力が判断されます。MRとして転職を予定している方にとっては、退職金の額と同じくらい重要な条件です。
年次有給休暇の消化
退職日までに未消化の有給休暇が残っている場合、その消化を前提に退職日を設定することができます。買取りは原則として認められていませんが、退職に際して未消化分を精算する合意をすること自体は妨げられません。
退職勧奨に応じるかどうかを判断する視点

提示額を「年収の何年分か」で捉える
割増退職金の額は、月給の何か月分という形で示されることが多いのですが、判断にあたっては年収に対する割合で捉え直すことが有用です。次の職に就くまでの期間と、転職後の年収の下がり幅を見込んだうえで、その差額を埋められる水準かどうかを検討します。
年齢と転職市場の状況を踏まえる
MRは、担当領域や経験によって転職の難易度が大きく異なります。50代以降の方の場合、同水準の待遇での転職は容易ではなく、提示された条件では到底埋まらないこともあります。逆に、次の職の見通しが立っている方であれば、早期に条件を確定させる判断も合理的です。
争った場合の見通しと併せて考える
解雇された場合に無効を主張できる見込みがどの程度あるかは、条件を検討するうえでの前提になります。会社が解雇に踏み切りにくい事案であれば、それ自体が交渉の材料になります。
解雇された後の生活を支える手続

雇用保険の基本手当は会社都合として扱われる
解雇による離職は、原則として会社都合の離職(特定受給資格者)として扱われ、自己都合退職の場合のような給付制限を受けることなく基本手当を受給できます。所定給付日数も、多くの場合、自己都合退職より長く設定されています(年齢や被保険者であった期間によっては同じ日数となることもあります)。
ただし、「自己の責めに帰すべき重大な理由による解雇」(重責解雇)と判断された場合には特定受給資格者に当たらず、給付制限を受けることになります。解雇の効力そのものを争っている場合には、その事情もハローワークに伝えてください。
離職票に記載された離職理由に納得できない場合には、ハローワークに異議を申し出ることができます。会社都合であるはずなのに「一身上の都合」と記載されていないか、必ず確認してください。
解雇を争いながら基本手当を受けられる場合がある
解雇の効力を争っている場合でも、現に就労できていないのであれば、基本手当を受給できることがあります。ただし、後に解雇が無効となって賃金がさかのぼって支払われたときは、受給した基本手当の返還などが必要になる場合がありますので、あらかじめハローワークに事情を伝えておくことが大切です。
健康保険は任意継続と国民健康保険を比較して選ぶ
退職後の健康保険には、これまでの健康保険を任意継続する方法と、国民健康保険に加入する方法があります。保険料の額や扶養家族の人数によって有利不利が変わりますので、期限内に比較して選択してください。任意継続は、退職日の前日までに継続して2か月以上の被保険者期間があることを要件に、資格喪失日(退職日の翌日)から20日以内に申し出る必要があり、加入できる期間は最長2年です。国民健康保険は、原則として退職日の翌日から14日以内の届出となります。
弁護士に依頼するメリット

退職勧奨の窓口を代理人に切り替えられる
弁護士が代理人として通知を出せば、直接の面談は止まります。繰り返される面談から解放されるだけでも、冷静に判断する余裕が生まれます。
条件の妥当性を数字で検証できる
賃金水準、勤続年数、再就職の見通しを踏まえ、提示された条件が妥当かどうかを検証し、上積みを求めて交渉します。
解雇された場合には地位確認で争える
やむを得ず解雇に至った場合には、整理解雇の四要素に照らして無効を主張し、労働審判や訴訟で地位確認と賃金の支払いを求めます。
当事務所のサポート内容

①提示条件の検証と方針の決定
希望退職の条件、退職金規程、就業規則を精査し、応じるべきか争うべきかについて、見通しを率直にお伝えします。
②会社との交渉
代理人として、退職条件の上積み、退職日の調整、退職理由の記載などを交渉します。
③退職強要・違法な配転への対応
執拗な面談や不当な配置転換に対しては、中止を求める通知を発し、必要に応じて損害賠償を請求します。
④労働審判・訴訟の申立て
解雇された場合には、整理解雇の要件を争い、地位確認と未払賃金の支払いを求めます。
おわりに

希望退職の募集や退職勧奨は、会社にとっては何度も繰り返してきた手続でも、受ける側にとっては人生で一度きりの判断です。準備の差は、そのまま条件の差になって表れます。
期限を切られると、断ることが許されないように感じてしまいますが、応じる義務はありません。まずは条件を書面で受け取り、署名をする前に、一度ご相談ください。
グリーンリーフ法律事務所は、設立以来35年の実績があり、18名の弁護士が所属する、埼玉県ではトップクラスの法律事務所です。
また、各分野について専門チームを設けており、専門チームの弁護士は、各担当分野について知識・経験とも豊富で、大きな強みを持っています。まずは、一度お気軽にご相談ください。
この記事を書いた弁護士:弁護士 遠藤吏恭
労働問題
弁護士登録後、グリーンリーフ法律事務所にて残業代未払い・不当解雇など多数の労働問題を取り扱う。法テラス民事法律扶助審査委員として幅広い労働者支援にも従事。中央大学法科大学院・埼玉工業大学の講師を務め、不当要求防止責任者講習の講師経験を活かした毅然とした交渉力で、依頼人の権利を守る。




