
建設業は、全産業のなかでも労働災害による死亡者・重傷者が特に多く発生している業種です。とりわけ、足場や屋根、開口部などの高所からの「墜落・転落」事故は、建設業で起こる重大な労働災害の大部分を占めています。
高所から落下すると、地面やコンクリートの床に強く叩きつけられるため、単なる骨折にとどまらず、頭部外傷による高次脳機能障害や、脊髄を損傷したことによる下半身麻痺・四肢麻痺など、一生涯にわたって常時介護を要するほどの重篤な後遺障害が残るケースも後を絶ちません。
労働基準監督署で労災認定を受ければ、治療費や休業期間中の補償、後遺障害に対する障害補償給付などは国から支払われます。しかし、ここで重要なのは、国の労災保険の給付には、被災者が受けた精神的苦痛に対する「慰謝料」が一切含まれていないという点です。さらに、将来得られるはずだった収入の減少にあたる逸失利益や、一生涯続く将来の介護費用についても、労災保険の給付だけでは実際の損害額をカバーしきれません。
これらの「労災保険では足りない損害」を補填するためには、事故が発生した現場を管理していた会社に対して、直接損害賠償(民事賠償)を請求する必要があります。特に脊髄損傷などの重い後遺障害が残るケースでは、請求できる賠償額が数千万円から、ときに1億円を超えることも珍しくありません。
本記事では、建設現場の墜落事故において、会社や元請け企業に対して損害賠償を請求するための法的な根拠や、多重下請け構造のなかでの元請けの責任、そして証拠集めのポイントについて、労働災害に精通した埼玉県大宮の弁護士が詳しく解説します。
建設業の墜落事故で会社に問われる「安全配慮義務違反」

仕事中にケガをしたからといって、自動的に会社が慰謝料を支払ってくれるわけではありません。会社に損害賠償を請求するためには、会社側に安全配慮義務違反、すなわち労働者が安全に働けるよう配慮する義務を怠った過失があったことを示す必要があります。
建設現場の高所作業については、労働安全衛生法および労働安全衛生規則によって、厳格な危険防止措置が義務付けられています。これらのルールが現場で守られていなかった場合、会社の明確な過失として、重い賠償責任が問われることになります。
①足場や作業床の不備
労働安全衛生規則では、高さ2メートル以上の箇所で作業を行う場合、原則として足場を組み立てるなどの方法で作業床を設けなければならないとされています。また、作業床の端や開口部など墜落の危険がある場所には、囲い・手すり・覆いなどを設けることが求められます。
「足場の手すりが外されたままになっていた」「作業床の板のすき間が広すぎた」「開口部にネットや蓋がされていなかった」といった不備が原因で労働者が転落した場合、安全設備を整えなかった会社の責任は免れません。
②スレート屋根などの踏み抜き防止措置の不備
工場や倉庫の屋根によく使われるスレート板や木毛板は、老朽化すると非常にもろくなり、作業員が乗っただけで割れてしまうことがあります。そのため労働安全衛生規則は、これらの材料で葺かれた屋根の上で作業をする場合、幅30センチメートル以上の歩み板を設け、防網(安全ネット)を張るなどの踏み抜き防止措置を講じることを義務付けています。
にもかかわらず、工期を急いで歩み板を設置せずに作業を指示した、建物の下にネットを張っていなかった、といった状況で踏み抜き事故が発生した場合、会社には極めて重大な安全配慮義務違反が認められます。
③墜落制止用器具(安全帯)の支給・使用指導の欠如
作業床や手すりを設けることがどうしても困難な場所で作業をさせる場合、会社は労働者に墜落制止用器具(フルハーネス型の安全帯など)を支給し、確実に使用させる義務があります。あわせて、フックを掛けるための頑丈な親綱(命綱)を設置しなければなりません。
「安全帯が支給されていなかった」「安全帯を掛ける場所が用意されていなかった」「現場監督が安全帯の使用を厳格に指導・確認していなかった」といった実態があれば、会社が安全配慮義務を果たしていたとはいえません。
下請け労働者の事故でも「元請け」に請求できるケース

建設業界の大きな特徴として、元請け(ゼネコンなど)の下に一次下請け、二次下請け、孫請けと連なる多重下請け構造があります。墜落事故の被災者の多くは、下請け企業の従業員や、一人親方として現場に入っている方です。
ここで問題になるのが、「直接雇われている下請け会社は規模が小さく、高額の賠償金を支払う能力がない」「事故後に下請け会社が倒産してしまった」といった事態です。しかし、あきらめる必要はありません。建設現場では、直接の雇用関係がない元方事業者(元請け企業)に対しても、安全配慮義務違反や不法行為に基づく損害賠償を請求できる可能性が十分にあります。
元請け(特定元方事業者)が負う重い責任
建設現場のように、元請けの労働者と複数の下請けの労働者が同じ場所で作業を行うことを「混在作業」と呼びます。こうした現場では、各業者がばらばらに作業を進めると重大な事故につながりかねないため、労働安全衛生法第30条は、元請け企業(特定元方事業者)に対して統括安全衛生責任者を選任し、現場全体の安全を統括管理する重い義務を課しています。
具体的には、元請けは、各下請け業者を集めた安全衛生協議会などの協議組織の設置と運営、作業間の連絡と調整、現場監督による作業場所の毎日の巡視、下請け労働者に対する指導・教育の援助といった措置を講じなければなりません。
元請けが、下請け労働者が手すりのない足場や安全帯を使わないまま危険な状態で働いているのを見過ごしていたり、不適切な作業工程を組んで強行させたりした結果として事故が発生した場合には、元請け企業に対しても、現場の統括管理義務を怠った安全配慮義務違反として賠償責任を問うことができます。実際の裁判例でも、下請け労働者の転落事故について元請けの安全管理責任を認め、多額の賠償を命じた判決が数多く存在します。
会社・元請けへの賠償金請求に向けた証拠集めのポイント

会社や元請けに安全配慮義務違反を追及するためには、被災者側で、「現場がどれほど危険な状態であったか」「元請けや下請けが安全管理を怠っていたか」を客観的に示す証拠を集めておく必要があります。建設現場の事故では、次のような証拠の確保が勝敗を分ける鍵となります。
事故状況・現場の不備に関する証拠
事故直後の足場の状態、手すりが外されていた状況、安全ネットが張られていなかったこと、安全帯の親綱がなかったことなどを示す写真・動画は、極めて強力な証拠になります。現場の状況は工事が進むとすぐに変わってしまい、会社側が事故後に慌てて手すりを設置して痕跡を整えてしまうケースもあるため、同僚などに頼んで早急に撮影しておくことが重要です。
また、重大な労働災害が発生すると、労働基準監督署の立ち入り調査や警察の実況見分が行われます。これらの公的な調査記録も、客観的な事故状況を示す重要な証拠となります。
安全管理体制の不備に関する証拠
元請けから下請けに対してどのような作業手順が指示されていたか、足場やネットといった安全設備の設置が図面上計画されていたかを確認できる作業計画書・作業指示書・施工図面は重要です。あわせて、危険箇所の周知や安全教育が十分に行われていたかを確認できる安全衛生協議会の議事録や新規入場時教育の記録、墜落の危険が事前に予見され対策が話し合われていたかを示す朝礼やKY(危険予知)活動の記録も手がかりとなります。
さらに、「安全帯を掛ける場所がいつもなかった」「元請けの監督は現場をほとんど巡視していなかった」といった、現場の日常的な安全意識の低さを示す同僚や目撃者の証言(陳述書)も有力な証拠となります。これらの資料の多くは会社や元請けが保管しているため、個人で開示を求めても応じてもらえないことが大半であり、弁護士が法的な手続きをとることが不可欠になります。
建設労災の損害賠償請求を弁護士に依頼すべき理由

建設現場の墜落事故で適正な慰謝料や賠償金を獲得するためには、被災者ご本人やご家族だけで会社と交渉するのではなく、労働災害問題に強い弁護士に依頼することが事実上の前提となります。その理由を説明します。
責任の所在を見極め、多重下請けの「責任逃れ」を防ぐ
多重下請け構造の現場で事故が起きると、元請けは「下請けの責任だ」、下請けは「元請けの指示が悪かった」と、互いに責任をなすりつけ合うことがよくあります。弁護士が介入すれば、契約関係や現場の指揮命令系統、労働安全衛生法の規定を詳細に分析し、直接の雇用主である下請け会社だけでなく、統括管理責任を負う元請け企業に対しても、的確な責任追及を行います。
不当な「過失相殺」の主張に対抗する
高所からの墜落事故では、会社側(顧問弁護士や保険会社)は、ほぼ必ずといってよいほど「本人が足を滑らせたのが悪い」「安全帯を掛けるよう指示していたのに本人が怠った」と労働者個人の不注意を責め、賠償額を大幅に減額する過失相殺を主張してきます。
しかし、労働安全衛生法は「人はミスをするもの」という前提に立ち、労働者が多少のミスをしても墜落しないような設備的な安全対策(強固な足場、手すり、安全ネットなど)を事業者に求めています。弁護士は、過去の裁判例や同法の理念を踏まえ、「安全設備を用意していなかった会社の責任こそが本質である」と反論し、不当な減額を阻止します。
「裁判基準」による適正な賠償額の獲得
脊髄損傷や高次脳機能障害など、第1級・第2級といった重い後遺障害が残った場合、労働能力を全部または大部分喪失したとみなされ、莫大な逸失利益が発生します。精神的苦痛に対する後遺障害慰謝料も、裁判基準(いわゆる赤本基準)では第1級で2,800万円程度が目安とされています。さらに、将来にわたり車椅子生活や寝たきりとなった場合の将来介護費や、自宅のバリアフリー化のための家屋改造費など、請求すべき損害は多岐にわたります。
会社側が加入する労災上乗せ保険から提示される示談金は、保険会社独自の低い基準(任意基準)で計算されており、裁判基準と比べて数千万円単位で低くなっていることも少なくありません。弁護士が代理人として裁判基準で交渉・訴訟を行うことで、被害に見合った水準の賠償額を勝ち取ることが可能になります。
証拠が消滅する前の迅速な「証拠保全」
建設現場は日々状況が変わり、工事が終われば現場そのものがなくなってしまいます。また、会社側に不都合な書類が隠されたり改ざんされたりするリスクもあります。弁護士に早期に依頼することで、裁判所を通じた証拠保全手続きなどにより、会社の責任を問うための決定的な証拠を法的に確保することができます。
おわりに

建設現場での墜落事故は、一瞬にして労働者の人生を変え、ご家族の生活を根底から揺るがす、極めて痛ましい災害です。治療やリハビリ、将来への不安で頭がいっぱいのなかで、複雑な法律論を持ち出す企業や保険会社と個人が対等に渡り合うことは容易ではありません。会社から提示された示談金に、安易にサインしてしまわないことが大切です。
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この記事を書いた弁護士:弁護士 遠藤吏恭
労働災害(労災)
弁護士登録後、労災認定申請から損害賠償請求まで幅広く対応。法テラス民事法律扶助審査委員として経済的に困難な被災労働者の支援にも積極的に携わる。不当要求防止責任者講習の講師経験を活かした毅然とした交渉力で、使用者側との厳しい交渉にも臆せず対応。中央大学法科大学院・埼玉工業大学講師も務める。






