元従業員による顧客の引き抜きは、会社の経営に大きく影響を与える事態になることが多いです。

しかし、法律の観点から見ると、すべての引き抜き行為が「違法」とされるわけではありません。

本コラムは、「元従業員による顧客引き抜きが不正競争防止法に抵触するのか」という問いに対し、裁判例の傾向や実務上の留意点、そして会社が取るべき防衛策について、詳しく解説するページとなっております。

そもそも顧客の引き抜き行為は「自由」なのか?

まず大前提として理解しておくべきなのは、日本においては「職業選択の自由(憲法22条1項)」が保障されているという点です。

つまり、従業員が退職後に競合他社を設立したり、競合他社に転職したりすること、そしてその過程で前職の顧客に声をかけること自体は、原則として自由競争の範囲内とみなされます。

自由な経済活動において、より良いサービスや安価な価格を提示して顧客を勝ち取ることは正当な競争であり、単に「顧客を奪われた」という事実だけでは、直ちに法的責任を問うことはできません。

しかし、その手法が「社会的に許容される限度」を超えた場合、初めて不正競争防止法や民法上の不法行為責任が問われる可能性があります。

 不正競争防止法における「営業秘密」の壁

元従業員の行為を不正競争防止法で訴える場合、最大の焦点となるのが「営業秘密の侵害(不正競争防止法2条1項4号〜10号)」です。

もし、元従業員が会社から持ち出した「顧客名簿」を利用して引き抜きを行っていた場合、その名簿が不正競争防止法上の「営業秘密」に該当すると、差し止めや損害賠償の請求が可能になります。

会社の情報が「営業秘密」として保護されるための「3つの要件」

裁判所が、ある情報を「営業秘密」として保護するためには、以下の3つの要件をすべて満たしている必要があります。

・秘密管理性
・有用性
・非公知性

以下では、各要件について詳しく解説いたします。

(1)秘密管理性

当該情報に接する人が秘密として管理されていることを客観的に認識することができ、その情報に接することができる人物が限定されている場合、「秘密管理性」を満たすと考えられます。

具体的にどのような管理をしている場合、「秘密管理性」が認められるかについては、以下のとおりです。

・秘密が情報などの無体物である場合、秘密保持誓約書の作成・取り交わし・就業規則に秘密保持に関する規程の整備・秘密管理規定の整備、といった管理方法によって当該情報が「秘密管理性」の要件を満たすと考えられます。

例えば、秘密管理規程を整備し、どの情報を秘密とすべきか、営業秘密に該当する場合の情報使用のルールを明確にしておくことが有用な方法の1つです。

紙媒体で情報を管理する場合、別の文書に「マル秘」などの表示を入れる・秘密として扱うべき紙媒体をファイルして、ファイルに「マル秘」などの表示を入れる・顧客情報や顧客名簿を施錠可能なキャビネットや金庫に保管し、閲覧できる人を限定する、といった管理方法を採ることで、「秘密管理性」を満たすと考えられます。

情報をデータで保管する場合、電子ファイル名に秘密である旨を付記・記録媒体にマル秘表示を貼り付ける・電子ファイルやフォルダにパスワードを設定する、といった管理方法を採ることで、「秘密管理性」を満たすと考えられます。

(2)有用性

営業活動をする上で有用な情報であることを「有用性」といいます。

「有用性」に該当するか否かは、事業活動において価値を有するか否かという観点から判断されます。

広い意味で商業的価値を有していれば、有用性が該当すると考えられます。

もっとも、事業活動に利用・使用されていることが絶対条件であるとは限りません。

例えば、顧客情報、製品の設計図・製造方法、プログラム、仕入れ先情報などの場合、有用性を満たす情報といえます。

(3)非公知性

「非公知性」が認められるためには、一般的に秘密が知られていないことに加えて、その秘密が容易に知ることができないものである必要があります。

既にネットや本に掲載されている情報は、誰でも閲覧することができるため、「非公知性」を満たさないと考えられます。

4. 不正競争防止法に該当しない場合の「民法(不法行為)」による追及

仮に顧客情報が「営業秘密」の要件を満たさず、不正競争防止法が適用できない場合でも、民法709条における(不法行為)をもって追及することができる場合があります。

裁判例では、引き抜きの手法が「背信的(裏切り的)」であり、社会通念上許容される限度を超えている場合には、違法と判断されることがあります。

違法と判断されやすいケースについては以下の場合です。

1 在職中からの周到な準備

 退職前から顧客に対して自社への移籍を働きかけ、退職と同時に一斉に契約を切り替えさせるような行為

2 誹謗中傷を伴う引き抜き

「前の会社は倒産間際だ」、「あそこのサービスは欠陥がある」といった虚偽の事実を告げて顧客を奪う行為

3 大量・組織的な引き抜き

一部の重要顧客だけでなく、会社の全顧客を根こそぎ奪い、元の会社の事業継続を困難にするような破壊的な行為

鍵を握る「競業避止義務」契約

元従業員に対する法的追及をより有利に進めるための方法として、入社時や退職時に交わす「競業避止義務(きょうぎょうひしぎむ)」に関する合意書を取り交わす方法があります。

「退職後〇年間は、競合他社への就職や、顧客への営業を行わない」という約束をしておくことで、不正競争防止法よりも広い範囲で元従業員の行動を制約できる可能性があります。

ただし、この契約も「何でもあり」ではありません。

元従業員の生計を立てる権利を奪いすぎる契約は、公序良俗違反(民法90条)として無効になるリスクがあります。

従業員と取り交わす合意書が有効と認められるためには、以下のバランスが必要です。

1 守るべき企業の利益があるか

 単に競争を排除するためではなく、特有のノウハウがあるか

2 制限の期間が適切か

 一般的には1年前後(長くても2年)が限界とされることが多いです

3 場所的制限があるか

全世界・日本全国ではなく、活動範囲に限定されているか

4代償措置があるか

競業を禁止する代わりに、手当や退職金の積み増しなどの補填があるか

実務的対応について

元従業員による不正な引き抜きが疑われる場合、会社は以下のステップで証拠を固める必要があります。

① 証拠の確保

元従業員が使用していたPCのログ、メールの送信履歴、クラウドストレージへのアクセス履歴を確認する方法が考えられます。

退職直前に大量のデータをダウンロードしていた形跡があれば、違法な顧客引き抜きを証明する証拠になります。

② 顧客へのヒアリング

離れていった顧客、離れかけている顧客から、「どのような経緯で勧誘されたか」を聞き取る方法が考えられます。

また、元従業員が会社を誹謗中傷していたり、在職中から執拗な勧誘を行っていたりした場合、その証言を陳述書としてまとめることをオススメします。

③ 警告書の送付

引き抜き行為の中止と秘密情報の廃棄を求める「警告書」を送付するのが一般的です。

これにより、相手にプレッシャーを与え、さらなる被害を食い止める効果があります。

まとめ

元従業員による顧客引き抜きが不正競争防止法に反するかどうかは、「その情報が『営業秘密』として法的に厳格に管理されていたか」、そして「引き抜きの態様が、自由競争の枠を逸脱して著しく不当か」という2点に集約されます。

「引き抜きは許せない」という感情論だけでは裁判に勝つことはできません。

日頃からの情報管理体制の構築と、適切な労働契約の運用こそが、会社の財産と顧客基盤を守る唯一の道と考えられます。

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■この記事を書いた弁護士

弁護士法人グリーンリーフ法律事務所
弁護士 安田 伸一朗

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