売買契約は売主と買主の口頭による合意だけでも成立するのが原則です。しかし、車の売買契約に関しては、業界団体などが推奨する注文書約款で、売買契約の成立時期を敢えて遅らせる旨の特約を定めています。なぜそのような特約が定められているのでしょうか。

一般的な売買契約の成立時期

売買契約をはじめとする多くの契約は、法律上「諾成契約(だくせいけいやく)」と呼ばれ、お互いの「合意」だけで成立するのが基本です。

では、その合意はどのようにして生まれ、いつの時点で「売買契約が成立した」ことになるのでしょうか。民法の「申込み」と「承諾」の概念に触れつつ、整理して解説します。

「申込み」と「承諾」の基本概念

売買契約が成立するためには、売主と買主のそれぞれの意思表示が、ぴったり合致する必要があります。

その、それぞれの意思表示が「申込み」と「承諾」です。

「申込み」は、契約の内容(目的物や価格など)を具体的に示して、相手方にその内容での契約締結を求める意思表示です。

例えば、売主による「この時計を30万円で売ります」との意思表示です。

「承諾」は、申込みに対して、その条件での契約締結に同意するという意思表示です。

 例えば、買主による「その時計を30万円で買います」との意思表示です。

このように、売主・買主の双方向の意思表示(「申込み」とそれに対する「承諾」)が合致すれば、売買契約は成立するのです。

似ているけれど違う概念「申込みの誘引」

「申込み」に似た概念として、「申込みの誘引」があります。

よくある、ネットショップの商品一覧や売り物件(不動産)の折込みチラシは、法律上「申込み」ではありません。

これらは、あくまでお客様に申し込んでもらう(買ってもらうための)ための呼びかけであり、「申込みの誘引」に過ぎません。

「申込み」ではありませんから、例えば、ホームページ上の商品一覧を見たお客様が「購入する」ボタンを押したからといって、その時点で売買契約が成立するわけではありません。

この場合、お客様が「購入する」ボタンを押すことが「申込み」であり、ネットショップ側が「注文を承諾しました」というメールを返すことが「承諾」です。

つまり、売買契約が成立するのは、ネットショップ側が「注文を承諾しました」というメールをお客様に送信した時点ということです。

以上を、量販店で洋服を販売するケース(店頭取引)で整理してみます。

私たちが日常的に行う買い物のケースです。

  • 01「申込みの誘引」
    販売店が店頭に洋服を陳列する
    ※店頭のハンガーにかけてある状態(陳列)は、まだ「申込みの誘引(買って下さいという誘い)」に過ぎません
  • 02「申込み」
    お客様が気に入った商品をレジに持っていく
    ※お客様が商品をレジに持っていき、購入する意思を示すことが申込みにあたります
  • 03「承諾」
    店員がレジで商品のバーコードを読み取る
    ※店員が商品をレジで受け取り、バーコードをスキャンする(または会計の処理を始める)ことが承諾にあたります(黙示の意思表示)

上記の例で売買契約が成立するのは、販売店による「承諾」がなされた時、すなわち、店員がレジで商品をスキャンし、お互いの間で「この洋服をこの価格で売買する」という合意が成立した時です。

売買契約の成立に書面は必要か?

民法のルールでは、売買契約の成立には、原則として「契約書の作成(書面)」は不要とされています。

先にも述べましたが、法律上「諾成契約(だくせいけいやく)」と呼ばれ、お互いの「合意」だけで成立するのが基本です。

つまり、口頭での「売ります」「買います」だけでも、「申込み」と「承諾」の意思表示が合致すれば、その瞬間に法律上の売買契約は成立するのです。

ただし、民法のルールはあくまで、当事者間で何も決めていなかった場合に適用される原則です。

実際の各種取引においては、この原則を修正する特約がよく使われています。

例えば、不動産の売買契約や、契約金額が極めて高額となるBtoB取引では、「双方が署名・捺印した売買契約書を取り交わした時に契約が成立する」という特約を付すのが一般的です。

この場合は、いくら口頭やメールで「買います」「売ります」と合意していても、正式な契約書に判を押すまでは売買契約は成立しません。

また、そのような特約を付していない売買契約であっても、「言った・言わない」のトラブルを防ぐために、契約書を作成しておくのが実務の大勢と言えるでしょう。

売買契約の成立時期を論じる意味

さて、これまで売買契約の成立要件・成立時期を見てきましたが、契約が成立しているかどうかを論じる意味はどこにあるのでしょうか。

それは、端的に言うと、「契約の拘束力に縛られることになるかどうか」が違ってくるということです。

売買契約が成立する前と後とで、次のような違いがあります。

売買契約が成立する前

売買契約が成立していないわけですから、契約による拘束力は未だ生じていません

この段階では、売主・買主ともに、特段の理由がなくても、契約することをやめる(=キャンセルする)ことが可能です。

先ほどの、量販店で洋服を販売するケースで、お客様が手に取った商品をレジに持って行く途中、「少し高いから、やっぱり買うのはやめよう」と思い直して、陳列棚に戻したとします。

この例で売買契約が成立するのは、販売店による「承諾」がなされた時、すなわち、店員がレジで商品をスキャンし、お互いの間で「この洋服をこの価格で売買する」という合意が成立した時ですので、上記の段階ではまだ売買契約は成立していないことになります。

このため、契約による拘束力もまだ生じていない段階ですから、お客様は自由に契約することをキャンセルすることができるのです。

販売店の側で、「一度その商品を手に取ったのだから、買って下さい」とは言えないわけです。

売買契約が成立した後

これに対し、ひとたび売買契約が成立すると、契約による拘束力が生じます

具体的に言うと、売主には契約の内容に従って目的物を買主に引き渡す義務が、買主には契約の内容に従って売買代金を支払う義務が、それぞれ発生します。

売主・買主ともに、自分の都合だけで一方的に契約をやめる(=キャンセルする)ことはできなくなりますし、義務に違反すれば債務不履行となり、相手方から損害賠償請求などを受ける可能性があります。

先ほどの、量販店で洋服を販売するケースで、店員がレジで商品をスキャンした後、お客様が「少し高いから、半額にして下さい」と言い始めたとします。

この例で売買契約が成立するのは、販売店による「承諾」がなされた時、すなわち、店員がレジで商品をスキャンし、お互いの間で「この洋服をこの価格で売買する」という合意が成立した時ですので、上記の段階では、代金を支払う前であっても、すでに売買契約は成立しています。

このため、契約による拘束力が生じ、お客様は、レジでスキャンされた金額に相当する売買代金を支払う義務があります。

レジで商品がスキャンされた後になって、金額の変更を求めることはできないのです。

※実際には、「レジを通した後、代金を支払う前」や「レジを通し、代金も支払った後」で、お客様が「やっぱりこの洋服を買うのをやめたい」と申し出て、店員がレジの取消しや返金に応じている場面があります。これは、売買契約が成立しているにもかかわらず、販売店の方で、任意に合意解除に応じている、ということになります。

車の売買契約の成立時期

さて、これまで見てきたとおり、売買契約は、当事者の口頭による合意(買主による「申込み」の意思表示と売主による「承諾」の意思表示の合致)だけで成立するというのが原則です。

それでは、車の売買契約ではどうなっているでしょうか。

ここでは、一般社団法人日本自動車販売協会連合会(以下「自販連」と言います)作成の注文書裏面約款に基づいて、解説していきます。

注文書裏面約款の定め

自販連の注文書裏面約款では、車の売買契約の成立時期は次のように定められています。

契約の成立過程を整理すると、

  • 01「申込みの誘引」
    販売店が店頭に車を展示する
    営業スタッフが来店客に対して車のPRをする
  • 02「申込み」
    お客様が車の購入を決断し、金額・支払い方法・オプションなど諸条件を記載した注文書を販売店と取り交わす
  • 03「承諾」
    ①登録or ②販売店による改造、架装、修理or ③引き渡し
    ※上記3つのいずれかの行為が販売店による「承諾」にあたります(黙示の承諾)

という流れになります。

先ほど、実際の各種取引においては、一般的な売買契約の成立時期を修正する特約がよく使われている(不動産の売買契約など)と述べました。

自販連の注文書裏面約款を用いた車の売買契約もそのような特約の一例で、本来は当事者間の合意だけで成立するはずのところを、わざわざ特約を設けて、売買契約の成立時期を後ろ倒しにしている(遅らせている)、ということになります。

車の売買契約において、このように契約の成立時期を遅らせているのは、一体なぜなのでしょうか。

車の売買契約の特殊性

車は、不動産に次ぐと言っても過言ではない、高額な商品です。

また、他の動産と異なり、「売っておしまい」とはいかず、その後の点検や整備などを通じて、買主となるお客様とはある程度長いお付き合いになることが想定されます。

そのような特殊性があるにもかかわらず、店頭にお客様が来てある車が気に入ったからといって、その場で即、売買契約が成立するとなれば、どうでしょうか?

一見のお客様では、その人がどのような素性の人かよく分かりません。

また、車両代金を支払うだけの資力があるのかどうかも不明です。

それなのに、口頭の合意だけで売買契約が成立することになってしまうと、販売店は、その売買契約に拘束されることになってしまいます。

例えば、後になって、そのお客様が悪質なクレーマーであることが分かったとしても、販売店は、一度成立した売買契約に縛られ、そのお客様に車を納める義務を負うことになります。

納車後、お客様から事あるごとに謂れのないクレームを受け続けることになり、現場のスタッフが疲弊してしまうかもしれません。

また、後になって、そのお客様が多額の負債を抱えている状態で、車両代金を支払うだけの資力がないらしいことが分かったとしても、お客様の債務不履行が現実化するまでは、販売店としても納車準備を進めなければなりません

結局、お客様が車両代金を支払うことができず、販売店の方から売買契約を解除するとしても、一度登録を経てしまった車には価値落ち分の損害が発生してしまいます。

このように、車は高額な商品であり、かつ、その後の点検・整備等である程度長いお付き合いが想定されるからこそ、口頭の合意だけで簡単に、早期に売買契約を成立させることは望ましくなく、上記3つの要件のいずれかがなされるまでは売買契約は成立しない、とされているのです。

売買契約の成立時期に関するトラブル事例

現場でお客様対応に当たるスタッフが、売買契約の成立時期を正確に理解していないがために、お客様との間で無用なトラブルに発展するケースが散見されます。

例えば、次のような事例です。

 

この事例では、自販連の注文書裏面約款を用いていますから、

①自動車の登録がなされた日
②注文により販売店が改造、架装、修理に着手した日
③自動車を引き渡した日

のいずれかがなければ、新車の売買契約は成立しません。

上記の例では、3つの要件のどれにも該当がありませんので、未だ売買契約は成立しておらず、お客様は、特に海外転勤というやむを得ない事情がなくても、自由にキャンセルできる状態です。

営業スタッフは、「注文書も取り交わし済みですし、すでにメーカーに発注をかけてしまった後なので、キャンセルはできません」と回答していますが、これは誤りです。

「注文書の取り交わし」も「メーカーへの(車両の)発注」も、いずれも売買契約の成立要件ではありません

さらに悪いことに、この営業スタッフは、「どうしてもということであれば契約の解除に応じますが、その場合は価値落ち分相当額をお支払いいただくことになります。申込金20万円を充当しても足りない分は、追加で支払っていただくことになりますよ」などと言ってしまっていますが、こちらも、誤った理解に基づく誤った請求です。

販売店が、売買契約が成立する前にキャンセルしたお客様に対して請求することができるのは、原則として、現に販売店に発生している実損害に限られますので、車両の価値落ち分の賠償請求は認められる余地がありません

逆に、すでにお支払いいただいた申込金の20万円は、手付金ではありませんので、全額お客様に返金しなければなりません

この事例では、お客様からキャンセルの申出を受けた時点で未だ売買契約が成立していないことから、(販売店としては極めて残念ではありますが)そのキャンセルを受け付けて、申込金20万円をお客様に返金する、という対応を取るべきでした。

以上から明らかなように、現場のスタッフに正しい知識があれば、お客様との間で無用なトラブルに発展することもなく、円滑な営業が可能となります。

自動車販売店にお勤めの皆様、車の売買契約の成立時期について、今一度、ご自身の理解は正しいか、確認してみませんか。

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グリーンリーフ法律事務所は、設立以来35年の実績があり、18名の弁護士が所属する、埼玉県ではトップクラスの法律事務所です。
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この記事を書いた弁護士:弁護士 田中 智美

自動車

弁護士法人グリーンリーフ法律事務所所属、埼玉県弁護会所属の弁護士。
自動車販売協会連合会埼玉県支部の顧問を務め、会員ディーラーから数多くの法律相談を受ける。自動車の販売・整備・修理等にまつわる法律実務に精通し、講演実績も多数。ディーラー側の視点からトラブル対応に当たっている。