令和3年10月  弁護士 平栗 丈嗣

【事案の概要】
 Xは、Xの祖父が創業したY社に平成6年に入社し、平成20年にY社の取締役に就任し、平成25年10月、取締役を退任した。
Xは、Y社との間の雇用契約の存在を主張したのに対し、Y社はXの取締役就任により雇用契約から委任契約に変わった結果、雇用契約は終了したと主張した。
そこで、Xは、Y社に対し、取締役就任後も従業員としての地位を失っていないことを前提として、雇用契約に基づき、入社(平成6年)から取締役退任時(平成25年)までを在職期間とする退職規定に基づく退職金及び遅延損害金を請求した。
(予備的主張として、平成20年にY社の取締役に就任時に従業員としての地位を失ったとしても、退職金支払期日を取締役退任時とする合意をしたことが主張された。)

【争点】
 Xが、取締役就任後も従業員としての地位を有していたか。
(予備的主張及び退職金算定の前提となる基本給額等については省略)

【裁判所の判断】
被告の就業規則には,取締役就任に伴い従業員の地位を失う旨の定めはなく,原告が取締役に就任するに当たって,退職届の提出や従業員退職金の支払等の,従業員の地位の清算に関する手続は行われなかったこと,従業員としての定年を迎えてから,原告と同時期に取締役に就任したE及びFには従業員退職金が支給され,原告と異なる取扱いがされたことが認められ,これに加えて,原告が,取締役就任前後で変わることなく,原料蜂蜜の購買計画の策定や進捗状況の確認等の業務をD(代表取締役)の指示の下で行っていた事実は,原告が,被告の取締役就任後も,D(代表取締役)の指揮監督下で業務を行っていたことを意味するから,これらの事実は,原告が取締役就任後も従業員としての地位を失っていないことを強く推認させる。また,被告において,平成19年頃に被告代表者とDとの確執が大きくなり,平成20年1月28日に原告らが取締役に就任したことでD側の株主グループが経営の支配権を握ることとなった事実や,以後,Dが被告代表者を務めていた期間には,取締役会が開催されていなかったことも,原告の従業員性が取締役就任前後で変化していないことをうかがわせる事情である(積極方向)

 一方で,原告の月額報酬が約54万円から約79万円に増額し,支給名目も,職能給及び各種手当から基本給名目に統一され,税務上は役員報酬として申告されていたことは,原告の従業員性を否定する方向に働く事実であるけれども,(消極方向)原告の業務内容が取締役就任前後で異ならなかったことや,被告において取締役会が開催されておらず,原告は,当時代表取締役であったDの指揮監督下で業務を行っていて,自身で経営者としての業務執行を行っていた事実は認められないこと,報酬額の増額は,従業員と役員を兼ねることによる増額と考えても矛盾はない程度のものにとどまることに加え,原告は,取締役就任と同時に原料部及び海外事業部の事業部長に就任したことも考慮すると,原告は,被告において従業員と取締役を兼務するいわゆる従業員兼務取締役であったと認めるのが相当である。
 他方,原告は,平成20年4月以降,雇用保険料を負担しておらず,平成23年4月には雇用保険被保険者としての資格を喪失した旨の届出がされているところ,(消極方向) 被告は,主としてこの事実及び原告と当時の代表者であったDとの間に父子関係が存在する事実を,原告の従業員としての地位の清算が行われた根拠として主張している。
 しかし,雇用保険の加入の有無は,当事者において様々な理由で操作することが可能であり,実際に,労働者に支払われる手取額を多くするなどの目的で社会保険等に加入しないことがまま行われていることなどからすると,雇用保険加入の有無によって,取締役の従業員性が決定づけられると考えることは不相当である。また,原告と当時の被告代表者との間に父子関係が存在する事実も,退職届の提出や退職金の支払のないまま,取締役就任時に従業員としての地位を清算する理由や根拠になるものとはいえない。
 また,原告に支払われた賞与の税務上の処理が統一されていない点を考慮すれば,賞与の一部が損金不算入とされている事実をもって,原告の従業員性を否定することも相当でないというべきである。
 したがって,原告は,被告の取締役に就任後も,従業員としての地位を有していたと認められる。

【検討】
1 取締役の労働者性に関する最高裁判例は、合資会社の有限責任社員で「専務取締役」の名称の下に無限責任社員の職務を代行していた者について従業員を対象とする退職金規定の適用があるとされた事例で、「合資会社の有限責任社員で「専務取締役」の名称の下に代表者である無限責任社員の職務を代行していた者であっても、定款によって業務執行の権限を与えられておらず、代表者の指揮命令の下に労務を提供していたにとどまり、その代償としての金員の支払を受けていたものについては、右会社の従業員を対象とする退職金規定が適用される」(最判平成7年2月9日集民174号237頁)と判示するのみで、考慮要素等について具体的に判示したものはない。
2 取締役の労働者性の判断については、裁判例をまとめて詳細な分析をしたものとして、下田敦史『「労働者」性の判断基準-取締役の「労働者」性について-』(判例タイムズ1212号34頁)がある。具体的には、①法令・定款上の業務執行権限の有無、②取締役としての業務執行の状況、③代表取締役からの指揮監督の有無、④拘束性の有無、⑤提供した労務の内容、⑥取締役に就任した経緯、⑦報酬の性質や額、⑧社会保険上の取扱い、⑨当事者の認識等の各観点から分析している。
3 本判決は特に、
・退職届の提出や従業員退職金の支払等の,従業員の地位の清算に関する手続は行われなかったこと
・取締役就任前後で業務内容が変わらなかったこと
を重視して、取締役の従業員を認めたものである。
特に、1点目の事情は、上記2の考慮要素⑥を具体化したものとして、同種事案の参考になると思われる。

以上