近年、労働基準監督署による是正勧告や、従業員からの未払い賃金請求訴訟において、「着替え時間」が労働時間として認められるか否かが、重要な争点となるケースが増加しています。

多くの企業では、「着替えは業務の準備行為であり、始業前の個人の行為である」として、着替え時間を労働時間として扱っていないかもしれません。

しかし、日本の労働法の下では、この認識は大きな未払い賃金リスクにつながる可能性があります。

本コラムでは、労働基準法における「労働時間」の定義を再確認した上で、最高裁判所の判例が示す着替え時間の法的判断基準、そして企業が直面するリスクと具体的な対応策について解説します。

労働時間の基本原則:「指揮命令下」にあるかがカギ

労働基準法第32条で定める「労働時間」とは、単に実際に作業に従事している時間だけを指すものではありません。

重要なのは、労働者が「使用者の指揮命令下に置かれている時間」であるかどうか、という実態です。

裁判例によって確立されたこの基準は、着替え時間のような「準備行為」や「手待ち時間」の労働時間性を判断する際の絶対的な原則となります。

そこで、着替え時間が労働時間に含まれるか否かは、以下の問いに集約されます。

Q.その着替えは、会社の明示的または黙示的な指示・命令によって行わざるを得ないものであり、労働者が会社の拘束(指揮命令下)を受けていると評価できるか?

たとえ就業規則で「着替え時間は労働時間に含めない」と定めていたとしても、実際の労務提供の実態が「指揮命令下にある」と判断されれば、その規定は無効となり、着替え時間は労働時間として扱われます。

労働基準法は、従業員を保護するための強行法規であり、実態が法に優先するからです。

裁判例が示す「着替え時間が労働時間となる」具体的な判断基準について

最高裁の判例や下級審の判断を分析すると、着替え時間が「指揮命令下に置かれている」と判断され、労働時間と認められる可能性が高い具体的な要素は、以下の通りです。

基準1:着替えの「義務付け」と「不利益」の有無

安全衛生上の理由(例:食品工場での異物混入防止、製造現場での保護具着用)や、企業のイメージ統一(例:接客業の制服)などの理由で、会社が制服や作業着の着用を明示的に義務付けている場合、その着替えは業務遂行に不可欠な準備行為とみなされます。

また、就業規則などに明記されていなくても、制服を着用しないと業務に従事させてもらえない、罰則が適用される、人事評価で不利益を被るなど、事実上着用せざるを得ない状況にある場合は、「黙示の指示」があったと評価されます

基準2:場所の拘束性(会社以外での着替えの可否)

必ず所定の更衣室で着替えること」、「制服を着て通勤することを禁止する」といった形で、会社が着替えの場所を社内の指定された場所に限定している場合、その着替え時間は場所的な拘束を受けていると判断され、指揮命令下に置かれているとみなされます

また、制服が極めて汚れたり臭いがついたりする性質のものであったり、安全保護具や特殊な作業着の着脱に特別な設備が必要であったりするなど、制服の特性上、自宅等での着替えが困難または不適当な場合も、実質的に場所の拘束があると評価されます

基準3:着替えの「複雑性」と「時間」

単にエプロンを付ける、帽子をかぶる、ジャケットを羽織るなど簡易な着替えであれば、時間的な拘束はほとんどなく、労働時間と認められない可能性が高いです。

しかし、複数の保護具の着用、清潔を保つための入念な手洗いや更衣、特殊な手順を要する場合など、相応の時間を要する複雑な着替えは、労働時間と判断される可能性が高まります。

代表的な最高裁判例:「三菱重工業長崎造船所事件」

着替え時間に関する最も重要な判例として、三菱重工業長崎造船所事件(最高裁平成12年3月9日判決)があります。

事案の概要

造船所の従業員らが、始業前の作業服や安全保護具への着替え、更衣室から作業場への移動、資材の受出しといった準備行為に要した時間が労働時間に該当するとして、会社に未払い賃金の支払いを求めました。

会社側は、これらの時間は就業規則で「所定労働時間外に行う」と定められた行為であり、労働時間ではないと主張しました。

裁判所の判断

最高裁判所は、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」が労働時間であるとの原則を改めて示し、本件における着替えや準備行為について、以下の通り判断しました。

作業着・保護具の着用:会社が作業着や安全保護具の着用を義務付けており、それなしには業務が遂行できないことから、その着脱は義務付けられた行為であり、労働時間に該当する

移動時間:指定された更衣室から作業場までの移動も、着替えと一体として義務付けられた行為であるため、労働時間に該当する

この判決は、着替えの時間が労働時間となるか否かは、企業の規定ではなく、労働者が会社の指揮命令下に置かれているという実態で判断されることを明確にしました。

企業が取るべき具体的なリスク対応策

着替え時間をめぐる法的なリスクを回避し、従業員との信頼関係を維持するためには、企業は以下の対応を速やかに検討・実施すべきです。

1. 労働時間の実態調査と把握

まず、現在の着替えの実態を正確に把握することが不可欠です。

例えば、制服への着替えに実際にどの程度の時間がかかっているか(平均時間、最長時間)、従業員へのヒアリングをすることをオススメします。

また、制服を着たままの通勤を許可しているか・更衣室以外での着替えを禁止しているかについて、実態調査する方法もございます。

その他、就業規則やマニュアルで着替えを義務付けているかについて確認する必要があります。

これらの実態に基づき、「指揮命令下にある」と判断される時間を正確に算出し、未払い賃金の総額を試算するなどのリスク評価を行う必要があります。

2. 着替え時間の「労働時間」への組み入れと賃金支払い

指揮命令下にあると判断される着替え時間については、労働時間として扱い、1分単位で賃金を支払うのが原則です。

3. ルールの見直しと柔軟な運用

着替え時間が労働時間と評価される要素を排除するための、ルールの見直しも有効です。

場所の拘束性の緩和

・制服での通勤を原則許可し、「会社指定の更衣室で着替えなければならない」という義務を撤廃する方法が考えられますが、衛生上・安全上等の理由で制服通勤が不可能な場合は、上記2の賃金支払いの対応が必須となります。

着替えの義務付けの緩和

簡易な着替え(例:エプロンのみ、バッジの装着のみ)で済むように制服を変更し、時間的拘束性を低減させたり、従業員の自由な意思による着替え(例:私服通勤者が業務開始前にスーツに着替える)については、それが会社の指示によるものでないことを明確にするといった方法があります。

4. 就業規則の明確化と従業員への周知徹底

対応方針を決定したら、就業規則や労働契約書、マニュアル等にそのルールを明確に規定し、全ての従業員に周知徹底することが不可欠です。

特に、着替え時間を労働時間として取り扱う場合は、「〇時から〇時までの間に着替えを完了し、所定の場所にいること」といった形で、労働時間とすべき時間帯を明確にし、適正な労働時間の管理(打刻等)を行う仕組みを構築する方法があります。

まとめ

従業員の着替え時間が労働時間に含まれるか否かは、「使用者の指揮命令下に置かれているか」という一点で判断されます。

安全衛生上の必要性や、企業の規律・イメージ維持のために制服や作業服の着用を義務付けている企業は、その着替えに要する時間も、原則として労働時間として賃金を支払う義務がある、と認識すべきです。

未払い賃金は、時効により過去3年分(将来的には5年間に延長される可能性もあります)の請求を受ける可能性があり、その影響は従業員数が多い企業ほど甚大になります。

企業経営の健全性を保つためにも、この機会に労働時間の定義と管理体制を再確認し、法的リスクのない、透明性の高い労務環境を整備されることを強くお勧めいたします。

不安な点や具体的な対応策の策定については、お気軽に弁護士にご相談ください。

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■この記事を書いた弁護士

弁護士法人グリーンリーフ法律事務所
弁護士 安田 伸一朗

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