令和3年4月  弁護士 平栗 丈嗣

【事案の概要】
本件は、夫である相手方(原審申立人X)が、妻である抗告人(原審相手方Y)に対し、前件調停で合意された婚姻費用の分担額の減額を求めた事案である。
⑴ 平成16年10月   XY婚姻
⑵ 平成29年8月    Xが家を出て別居
⑶ 平成30年3月12日 Y→X婚姻費用分担調停(前件調停)
Xが月額20万円の婚姻費用を支払う合意成立
⑷ 平成30年6月28日 X勤務先再雇用により減収
X→Y婚姻費用減額を求める調停(本件調停)
不調、審判移行
⑸ 平成31年3月    X再雇用先退職により給与所得なくなる
70歳受給開始での年金受給額増加を目的として年金受給開始しない
保有株式(時価総額3億円以上)の配当所得で生活を開始
⑹ 令和元年9月6日   東京家庭裁判所審判(原審)
再雇用先を退職した平成31年3月以降は配当収入(給与収入に換算) のみが収入であることを前提として、婚姻費用を下記の通り変更
ア 申立~平成31年3月      月額15万2000円
イ 平成31年4月~離婚・別居解消 月額3万2000円
⑺ 妻である抗告人(原審相手方Y)が本件抗告申立て

【争点】
妻である抗告人は、「夫である相手方は,65歳以降は年金を受給することができるのに,自らの意思でこれを受給していないのであるから,本来受給できる年金を考慮して婚姻費用の分担額を定めるべきである」と主張した。
(本判例報告においては他の論点について割愛する)

【裁判所の判断】
相手方は,年金受給資格を有しているものの,70歳までこれを受給するつもりがないとしているところ,(略)相手方は,65歳で年金の受給を開始していれば,年額約250万円の年金を受給することができるものと認められることからすると,少なくとも再雇用の期間が満了して相手方が無職となった平成31年4月以降は,上記の年金収入を給与収入に換算した約390万円(略)について,相手方が本来であれば得ることができる収入として,婚姻費用の分担額の算定の基礎とするのが相当である。
 なお,相手方は,年金の受給開始時期は任意に選択できるものであり,相手方は自身の選択として現時点で年金の受給をしていないのであって,婚姻費用の減額を目的として自身の収入を減らしているわけではないと主張する。
 しかしながら,(略)同居する夫婦の間では,年金収入はその共同生活の糧とするのが通常であることからすると,これを相手方の独自の判断で受給しないこととしたからといって,その収入がないものとして婚姻費用の算定をするのは相当とはいえない。

 そこで,前記のとおり,本件においては,相手方が受給することが可能な年金収入を給与収入に換算した約390万円を,婚姻費用の分担額の算定の基礎とすることとするが,このような取扱いをする以上,今後,実際に相手方が年金の受給を開始し,受給開始時期との関係で前記の金額よりも高額な年金を受給することができたとしても,基本的には,当該高額な年金の受給に基づいて婚姻費用の算定をすることはできず,この事実をもって,婚姻費用を変更すべき事情に当たるものと認めることもできないということになる。
・・・以上によれば,相手方については,平成30年7月から平成31年3月までは給与収入660万円と配当収入を給与収入に換算した約674万円を合算した1334万円程度の,同年4月以降は配当収入を給与収入に換算した配当収入約430万円と同じく年金収入390万円を合算した820万円程度の,各収入を得ることができるものとして,婚姻費用の分担額の算定を行うのが相当である。

【検討】
本件のように、年金受給資格がありながら、それを受給していない場合の婚姻費用の算定については、公刊された裁判例はない(判例時報2471号68頁)。
年金受給者について婚姻費用・養育費の分担が問題となる場合、年金を収入とみなして算出する(森公任ほか『養育費・婚姻費用算定事例集』79頁(新日本法規、2015)。年金収入も、当事者がそれにより生計の糧にしている以上、婚姻費用の算定に当たり考慮すべきであることは当然である。
老齢年金は、65歳で請求せずに66歳以降70歳までの間で申し出た時から繰下げて請求でき、繰下げ受給の請求をした時点に応じて、最大で42%年金額が増額される。そのため、年金受給資格がありながら、あえてそれを受給しない選択肢をとるケースが今後増えてくると予想される。本件では、このような時代の趨勢を踏まえた判断がなされたものであり、今後の実務上の参考になるものと思われる。
また、繰下げ受給により増額された年金額をベースにするのではなく、本来の受給開始時の年金額をベースにする旨判断している点も重要な点である。

以上